Part 1 第一統領ボナパルト
第8章 戴冠式
2.カルノの反対
ボナパルトの兄弟で後継者にふさわしい者はいないが、ルイが2年まえにジョゼフィーヌの娘オルタンスと結婚して、2人のあいだに男の子が生まれていた。
ナポレオン・ルイ・シャルルという洗礼名をもつその子を、ボナパルトは後継ぎにしようかと考えはじめている。
自分はまだ35歳、その男の子が成人するまで元気でいられるはずだ。
そうした第一統領の腹を知ってか知らずか、フーシェが動きはじめた。
この得体の知れない政治家は2年まえの終身統領制への移行時に、水面下でボナパルトの権限強化に反対していた。
それがいまでは平然としてこんなことをいう。
「状況が変わった。状況が変われば、すべてが変わる」
フーシェは1804年3月下旬、元老院に動議を提出した。
第一統領がその業績を完成して不滅にすることを願い、その栄光もまた不滅になることを願う、という内容である。
「王」や「皇帝」という言葉は、この動議では用いられていない。
元老院での採決の結果は、圧倒的多数による賛成だった。
反対は3、白票が2であったが、白票の1票はシエイエスのものだった。
それから一ヶ月ほどして、護民院の院内幹事キュレが、同じ趣旨の動議を護民院にだした。
キュレの動議では「皇帝」という言葉が顔をだしている。
採決のまえに、ラザール・カルノが発言をもとめて演壇に上った。
「わたしは君主制の復活に反対です。非常時に一時的に独裁が必要になることはあるでしょうが、恒久的で動かしがたい権力は必要でしょうか? 専制なしの王政をつくるよりも、アナーキーなしの共和国をつくることのほうが容易です」
王政にせよ、帝政にせよ、権力がひとりの人間に集中すれば専制になる、と演説したのである。
カルノはボナパルトが終身統領になるときにも反対票を投じており、その態度は一貫していた。
(続く)