Part 1 第一統領ボナパルト
第8章 戴冠式
3.帝政へのカウントダウン
ラザール・カルノは軍制改革に大きな功績をあげ、「勝利の組織者」と称えられた軍人出身の政治家。
軍人としてはボナパルトの先輩に当たる。
かれは公安委員会のメンバーだったし、総裁政府の総裁のひとりでもあった。
この経歴からいえば、護民院の平議員という現在の地位は役不足といってよい。
そのカルノが淡々とした口調で「ボナパルトが皇帝になればフランスは王政に戻るのであり、王政は専制政治にひとしい」と、演壇で述べたのである。
状況からいって、動議が可決され、帝政に移行するのは確実だ、とかれは判断していた。
ただ、自分の共和主義理念を公的な場で表明しておきたいと望んだのである。
ナポレオンが皇帝になってからも、カルノが護民院議員の職を辞することはない。
議会や国民の大多数の意見には従う、というのがかれの基本的政治姿勢であった。
すでに、帝政へのカウントダウンは、はじまっていた。
陸軍も海軍も、北はブーローニュの夜営部隊から、南はトゥーロンの艦隊にいたるまで、「第一統領を皇帝にせよ」という請願書を送ってくる。
各地方の県会や市会が「帝政を望む」という建白書を続々と寄せてくる。
そうした情勢を慎重に見定めていたボナパルトが、ようやく首をたてにふった。
元老院は、1804年5月18日、「国家組織にかんする元老院決議」をおこない、ナポレオン・ボナパルトが「フランス人の皇帝」になることを承認する。
その後で国民投票がおこなわれた。
結果が8月2日に発表される。
賛成が約357万票で、反対が約2500票。
これによって元老院決議は正式に発効し、フランスは帝政になった。
手続きの上からいえば、議会の要望と国民投票によって、ボナパルトは皇帝ナポレオンになったわけである。
(続く)