Part 2 百日天下
第5章 ドミノ倒し
8.カルタの城
王党派のなかには「国王はあくまでパリにとどまるべきだ。ナポレオンがパリを支配すれば、フランス全土を支配することになるのだから」と、主張する者もいた。
『ブオナパルテとブルボン王家』を書いた著名な文学者ショトーブリアンは、そのひとりである。
が、ルイ18世はそうした硬派の意見に耳をかそうとしなかった。
議会で「国民のために死ぬことにまさる生涯の終え方があるだろうか」と演説したのはレトリックにすぎない。
問題は、どこへ逃げるかである。
内務大臣モンテスキューは、「いざというときにベルギーやオランダに脱出できる」という理由で、リールを提案する。
王は頷いた。
マクドナルドは「フランス国内にとどまることが肝要であり、それより北に行くべきではありません」と進言した。
ヴィトロールは「せめて夜になってから出発してください」と懇願した。
国王が逃げ出す姿を、パリ市民に見られたくないのだ。
この3月19日は復活祭に先立つ枝の主日であり、王は宗教的な儀式をすべて終えてから荷づくりをはじめた。
国王に従って首都を離れるアルトワ伯や大臣たちも同じである。
真夜中ごろ、チュイルリー宮殿のフローラル館のまえに、10台ほどの大型馬車が並んだ。
細かい雨が降っている。
松明をかざす従僕のあとから、ルイ18世が寵臣ブラカスとデュラス公爵に支えられて出てきた。
こぬか雨にあたりブルボン家の特徴である王の鷲鼻がすこしぬれている。
警備員、王室近衛兵、使用人たちを見やりながら、王は馬車に乗り込むまえに声をかけた。
「すまないな。わたしはもうすこし元気になる必要がある。じきにまた会おう」
ベルリン馬車は、小雨のなかを闇に消えていく。
昨年5月に復活した王政は、こうして一年もたたぬうちに、カルタの城のように崩れ落ちた。
(続く)