Part 1 第一統領ボナパルト
第3章 コンコルダ
14.公布式典
1802年4月18日。この日は復活祭の祝日であった。
パリのノートルダム大聖堂では、朝早くから鐘が鳴っている。
カトリック教徒はもちろんのこと、信者でない者も、子どものときから聞きなれていた鐘の音をしばらくぶりで耳にして、ふしぎな感動を覚えていた。
日曜にノートルダムの大鐘楼の鐘が鳴らされるのは、じつに10年ぶりである。
法律としてのコンコルダは、昨年7月の調印式から9ヶ月後に、10日ほどまえに議会で可決されていた。
満場一致でなかったが、ともかくも通った。
復活祭の日曜のきょう、その公布式典が挙行されるのだ。
11時に、礼砲がなった。
それを合図に、3人の統領がチュイルリー宮殿を馬車で出る。
後続の馬車が、ほどよい間隔でつぎつぎと後を追う。
ノートルダムまえの広場には、すでにおびただしい群集がつめかけていた。
大聖堂に入ってすぐの身廊には、パリの大司教と30名の司教たち、この式典のためにローマから来た教皇特使カプラーラなどが、威儀を正して着席し、政府首脳の到着を待っている。
軍の高官たちには、無信仰であり、教会に反感を抱く者が少なくない。
かれらはしかたなくこの式典に出ているのだ、という態度を露骨にとっていた。
高笑いする者がいる。高位の聖職者を無視する者がいる。
パリっ子の歓声とどよめきのなかを、3人の統領と大臣たちの馬車が大伽藍のまえに着いた。
この日の主役はもちろんボナパルトである。
が、群集の好奇の目はタレーランとフーシェにも注がれている。
還俗した元司教と元オラトリオ会士が、どんな顔をしてこの宗教儀式にのぞむのか、その様子を見たいのだ。
しかし、外務大臣も警察大臣も場数をふんだ千両役者。何食わぬ顔を崩すこともなく、野次馬をがっかりさせた。
(続く)