物語
ナポレオン
の時代
ナポレオンが退位したあとの統治者はだれになるのか。
6月22日の夜、リュシヤンは貴族院で、憲法の規定を根拠にローマ王(すなわちナポレオン2世)を帝位継承者にすべきだと主張した。
しかし、キネット、ポンテクーラン、ドクレなど反対する者が多い。
ナポレオンの息子は4歳の子どもにすぎないし、ウィーンで事実上囚われの身になっている。
母親はといえば、パルマ公国の公妃におさまったそうではないか。
議論は紛糾し、なにも決まることはなかった。
貴族院議員は皇帝によって任命された者たちである。
そのかれらですら、4歳のローマ王にいま帝位を継承させるのはおかしいと感じていた。
それに加えて、この時期になると貴族院は代議院の出方をうかがい追従することが多かった。
労働者や連盟兵が依然として示威運動を続けていた。
かれらは連日エリゼ宮の近くに行き、建物をとり囲んで気勢を上げ、皇帝をあくまで支持する姿勢を示している。
デモ参加者に金をくばって退散させてみたが、つぎつぎに新手のデモ隊がやってくる。
フーシェは不安にかられた。
この群衆の熱気にあおられ、また息子が後継者として承認されそうもないことに不満なナポレオンが、あるいは退位宣言を撤回するかもしれない。
ここは前皇帝をパリから追い払うべきだろう。
そう判断したフーシェはダヴーを呼び、ナポレオンをエリゼ宮から立ち退かせてくれないかと頼んだ。
ダヴーは意外にも、火中の栗を拾うことを承知する。
6月24日、陸軍大臣は長く仕えた主君に会いに行き、とげとげしい雰囲気のなかで話し合いをした。
別れるときのナポレオンの態度はひややかで、握手の手をとることも拒否する。
が、内心ではパリ退去もやむなしと思っていた。
その晩のうちに、ジョゼフィーヌの死後マルメゾンの城館の所有者になったオルタンスに、マルメゾンに逗留してもよいかと尋ねている。
(続く)