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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第2章 ロングウッド 

    5.島の気候

  ロングウッドに移ってまもなく、ラス・カーズは『セント・ヘレナのメモリアル』にこう書いた。

  「止むことのない風、ときに荒々しく、いつも同じ方向から吹いてくる風が、台地の表面をたえず
 掃いている。
   雲がほとんどいつも覆いかぶさっていて、太陽はまれにしか顔を出さないが、それでも大気に作用
 して、注意して身を守らないと肝臓をやられてしまう」

 それから3ヶ月ほどしたある日の記述。

  「天気がずっと悪くて、外に出られなかった。
   雨と湿気が安普請の住居に入り込んできて、だれもが身体の不調を感じている。
   ここの気温はなるほど温暖だが、風土は不健康きわまりない」

 この8年後に出版されることになる『セント・ヘレナのメモリアル』でこのくだりを読んだフランスの読者は「イギリス政府は皇帝のためにそんなひどい場所を選んだのか!」と憤慨したことだろう。
 しかし現代イギリスの歴史家(たとえばポール・ジョンソン)は、セント・ヘレナが健康に悪い島だとは考えていない。
 むしろ住みやすい場所だと判断している。

 ラス・カーズとポール・ジョンソンの意見はまっこうから対立するが、どちらが正しいのか?
 結論からいえば、両方が正しい。
 というのも、ロングウッド台地の気候はとくべつで、島の他の部分とは違うのである。
 島の主都ジェームズタウンとその周辺は、熱帯性の気候で、温暖で乾燥している。
 ところがロングウッドには強風が吹き、夏以外の季節には雨と霧が多く、それにともない湿度が高い。  その上、気温の上がり下がりが大きい。
 降雨量についていえば、フランスで雨の多いことで知られるブルターニュ半島よりも多く降る。

 ナポレオンと随員たちをもっとも悩ませたのは、冬期の湿気のひどさだった。
 建物の構造や建材のせいもあったが、とにかく湿度が高い。
 衣服やカーテンそれに皮革製品に、白く薄いカビがびっしりと張りついてしまう。
 火を燃やして空気を乾燥させても、ほとんど効果がなかった。
                           (続く

 ラス・カーズはある事情(詳細はいずれ述べます)で他の随員より早く島を離れました。
 帰国してから数年後に、それまで書きためておいた日記に『セント・ヘレナのメモリアル』という題をつけて世に問います。
 この本はたちまち評判になり、現代の言葉でいえば「ベストセラー」になりました。
 いくども版を重ね、ヨーロッパの各国語に翻訳もされました。
 いわゆる「ナポレオン伝説」がつくられる上で、この書物は多大の貢献をしたのです。