Part 1 第一統領ボナパルト
第6章 裁判
7.警察省の復活
1804年の初頭には大事件がひんぱんに起きた。
アンギャン公の拉致と処刑。
モロー将軍と王党派指導者カドゥーダルの逮捕。
獄中のピシュグリュの謎の死。
当時のマスコミは連日これらの重大事件を報道し、「共和暦十二年の大陰謀」と名づける。
大衆はこうした有名人が当局の目のとどかぬところで「陰謀」をめぐらしていたと聞かされ、大きなショックを受けた。
官憲は王党派がこのまま黙っているとは思っていない。
近々なんらかの報復行為が企てられるにちがいない。
アミアン条約が破棄されてから、イギリスとの関係はピリピリしていた。
ロンドンから多数の諜報員がフランスに送り込まれている、という噂もある。
公安の監視体制はもっと強化されなければいけない、とボナパルトは判断していた。
内務大臣シャプタルや警視総監デュボワの下の警察は、いまの仕事だけで手いっぱいのようだ。
こうなってみると、フーシェが警察大臣でないのが不安である。2年まえに警察省を廃止したのが悔やまれる。
王党派の工作員の名前や顔、その隠れ家・集会場所を、この男ほど知っている者は他にいない。
「わたしには目になってくれる者、腕になってくれる者、足となってくれる者が必要だ。目や腕や足をもたない者を使うわけにいかない」
これが第一統領の口癖である。いいかえれば、徹底した能力重視主義者なのだ。
こうして1804年7月10日、警察省の復活と上院議員フーシェの警察大臣任命が公示される。
ふたたびヴォルテール河岸通りの警察省に、毎日早朝から顔色の悪い陰気な男が登庁する姿が見られるようになった。(続く)