Part 1 第一統領ボナパルト
第6章 裁判
8. 裁判のはじまり
この2ヶ月ほどまえの5月に、「共和暦十二年の大陰謀」の裁判がはじまっていた。
被告の数はじつに47名の多さである。
そのなかには、ポリニャックやリヴィエールのような貴族もいれば、無名の雑魚もいる。
ビッグネームのモロー将軍とジョルジュ・カドゥーダルに、ひとびとの関心は集中した。
メディアはこの公判を「モロー・カドゥーダル裁判」と呼んだ。
フランスにはこの時代から予審制度があったが、事件の予審をおこなったのはチュリオ判事。
チュリオは人も知るジャコバン派で、革命政府のころから活躍していた人物。公安委員会のメンバーでもあった。
予審を担当した判事はふつう公判にかかわらないのに、チュリオは積極的に関与した。
裁判がはじまったのは5月25日である。
傍聴席の前方何列かは、着飾った上流社会の人間たちによって占められていた。
というのも、カドゥーダルがパリのサロンでよく話題にのぼる人物であり、上流人士は「どんな男か見てみたい」と思ったのだ。
モロー将軍も、ボナパルト最大のライバルとされていたために、人気があった。
カドゥーダルはがっしりとした身体をゆするように入廷した。血色がよく、背はあまり高くない。
威厳のあるモローが法廷に入る。
この将軍が他の被告たちに伍して、憲兵にかこまれて着席するのを見て、傍聴席の兵士たちは不満のうなり声をあげた。
起訴状の朗読がはじまる。
カドゥーダルとその部下のノルマンディー海岸への上陸。
第一統領がマルメゾンあるいはサン・クルーに移動するとき、もしくはそこからチュイルリー宮殿に戻るとき、拉致するという計画。
やむを得ない場合には、殺害する。
モローとピシュグリュが臨時政府を樹立し、王族のひとりのパリ到着を待って、王政を復活させる。
以上が、検察の見立てた「陰謀」のシナリオだった。(続く)