「コンコルダ」を辞書でひくと、「政教条約
「コンコルダート」などとあります。 難しい用語なので、わかりやすい説明を試みます。
カトリックの信者は子どもが生まれれば、洗礼を受けさせます。自分が死ぬときには、終油の秘蹟を受けます。
誕生や死だけでなく、学校教育や結婚などもフランスでは宗教とかかわってます。
現在でもそれは残ってますが、200年前のナポレオン時代には、かかわりはさらに深かった。
誕生・教育・結婚・死などが国内法マターであるのは、いうまでもありません。
このような問題で、行政と宗教はどう向き合うのか?お互いの守備範囲をどこまでとするのか?
そうしたことを規定するのが、政教条約なのです。すなわちコンコルダです。
第3章 コンコルダ
2.コンコルダとは?
フランス革命が勃発したのは11年まえだったが、それいらい政府と教会は反目し合っている。
革命家たちが宗教を不要だといったのではない。
宗教の必要性は認める。けれどもカトリック教会はいらないと主張したのである。
多くの聖堂や修道院が破壊され、聖職者は公務員にされてしまった。
「聖職者市民法」を遵守しない司教や司祭などは、国外に追放されもした。
その結果、フランス政府と教皇庁との関係は悪くなった。
司祭のいなくなった教区では、ミサもおこなわれない。信者にとっては、生活の一部が奪われてしまったようなもの。
一年を通して農作業や日常生活のリズムをつくってくれた聖堂の鐘の音は、だいぶまえから聞かれなくなった。
民衆の信仰心はしだいに薄れ、農村でも都市部でも風紀はゆるみ、享楽的な雰囲気がはびこっている。
「このままにしておくわけにはいかない」 ボナパルトはそう判断した。
ヴァチカンとの関係を修復しようと考えた理由のひとつは、そこにある。
それだけではない。キリスト教をフランス社会に復権させれば、聖職者や一般の信者が喜ぶのはもちろんであるが、王党派も満足するだろう。
昔も今も、王権とカトリック教会との結びつきは強く太い。ヴァンデの乱の叛徒たちもシュアンも、その大部分が王党派であり、カトリック教徒なのである。 (続く)