Part 1 第一統領ボナパルト
第3章 コンコルダ
3.山積みの難問
フランス政府と教皇庁の交渉は、1800年11月にパリではじまった。
両サイドを代表する人物がいちおう交渉のテーブルについたものの、先行きはまったく見通せない。クリアすべきハードルの数は多く、しかもそれぞれに高いのだ。
革命政府によって国有化された教会の土地や財産の問題。
聖職者はながくヴァチカンによって任命されていたのに、いまは公選されている。それを今後どうするか?
「聖職者市民法」への宣誓を拒んで亡命した者は、このまま帰国できないのか?
カトリック教はフランスの国教になるべきでは?
どれをとっても、フランス政府も教皇庁も、容易に譲歩できない問題である。
そもそもコンコルダの交渉をはじめることに反対する人間が、ローマにもパリにも少なくない。
ローマの反対派は、主として保守的な枢機卿グループ。
「ピウス7世はあまりに弱腰だ。ボナパルトは革命の申し子である。そんな男と安易に妥協すべきではない」と、かれらは主張する。
フランス側の批判勢力は、各界にまたがっている。
政界ではカンバセレス、タレーラン、フーシェ、レドレールなどの有力者。議会左派の議員たち。
宗教界では進歩的な聖職者たち。それに軍部。
そう、軍部が反対なのである。
ボナパルトの部下ともいうべき、将官、士官の大部分がコンコルダにそっぽを向いている。意外といえば意外なのだが、将軍たちや師団長クラスの高級将官はおおむね教会ぎらいである。
かれらの多くは、革命後に軍隊に入った。アンシャン・レジーム下では身分差別があって出世できない平民出身者も、軍人としての実力があれば、ドンドン昇進できた。
兵卒から士官になり、連隊長になり、将軍にまでのぼりつめた者もいる。
外国と戦争して、革命精神を国境の外に伝えてきたという誇りもある。
だから将官や士官たちには、共和主義者が多いのである。
ブルボン王家を嫌い、王権と手を握るカトリック教会に反発するかれら軍人たちは、「なぜヴァチカンとコンコルダなど結ぶ必要があるのか!」と憤慨していた。
(続く)