Part 1 第一統領ボナパルト
第4章 フランス vs. イギリス
8. 国益の衝突
話を「アミアンの和約」に戻す。
イギリスがフランスとの講和にふみ切った理由は、これまでに説明したことのほかにもう一つあった。 海外貿易の閉塞状態をなんとかしたいのだ。
その願望は、とくに「シティ」の経済人のあいだで強かった。
この時代、というのは18世紀後半から19世紀の初めにかけてのことであるが、イギリスの産業はヨーロッパのどの国よりも先行していた。
英国産の繊維類を主体とする工業製品は、大陸の(フランスを含む)多くの国や南北アメリカに輸出され、莫大な外貨をかせいでいた。
逆に南北アメリカからは、砂糖・コーヒー・綿花などを輸入して、加工・包装したうえで大陸諸都市に売りさばく。
貿易こそはイギリスを豊かにする強い滋養液なのである。
しかるに、この10年来、外国との取引が思うにまかせず、めっきり減った。
フランスはもちろん、オランダやべルギーとも、さらには南北アメリカとの交易も自由にできない。 結果として、大量の工業製品は倉庫に山積みになったまま。
アミアン条約がその問題をいっきょに解決してくれるだろう。イギリスの支配階級はそう期待していたのだ。
ところが、そうならなかった。
こんなはずではなかった、とイギリスの実業家は不満である。
ボナパルトにいわせれば、話は逆で、 フランスの産業は、イギリス製品のために、ひさしく圧迫されてきた。
おまけに革命の騒ぎと混乱のために、このところ農業も工業も荒廃し停滞している。
そこに安価な農作物や質の良い工業製品が輸入されたら、いったいどうなるのか。
自国の産業は壊滅的な打撃を受けてしまうだろう。
保護号易が必要だったのはそのためである。
国内だけでなく、フランスが政治的・外交的に影響を及ぼしうる国々でも、自国製品はできるだけ保護されなければならない。
競争相手のイギリス商品をできるだけ締め出すのだ。
「とんでもないことだ」と、シティの商人たちは反撥する。
自分たちが築いてきた大陸や南北アメリカや中近東の市場が、みすみす奪われてしまうのを指をくわえて見ていられようか。
かれらは国会議員にはたらきかけ、議会に陳情した。
(続く)