Part 1 第一統領ボナパルト
第4章 フランス vs. イギリス
9.マルタ島のイギリス海軍
じつはシティの経済人だけでなく、イギリス政府としてもこのところボナパルトにいろいろ不満を抱いている。
フランスが「リュネヴィルの和約」でオランダからの撤退を約束したのは、1801年の2月。
それから1年以上になるのに、腰をすえたまま動こうとしないのが気に入らない。
イギリスがオランダとベルギーの政治情勢に多大の関心をもつ理由はすでに述べたとおり。
「すぐ出て行ってもらいたい」
そういいたいところだが、残念ながらリュネヴィルの和約の当事国でないので、口出しできない。
アントワープやオステンデが依然としてフランスの勢力下にあるのも面白くない。
そこへもってきて、1802年夏にホワイトホールの神経を逆なでする出来事が続出した。
8月にボナパルトがエルバ島を併合した。9月にピエモンテを併合した。そしてスイスのヴァレ州を分離・独立させた。
イギリス議会は騒ぎはじめる。
フランスがこのように周囲に手を拡げ、強くなっていくのを、われわれは指をくわえて眺めているだけなのか。
政府はいったいなにをしているのか。あの国と和平条約を結んだのは間違いだった。
そもそもアミアン条約は、領土問題をとってみても、わが国よりもフランスにとって有利である。
こんな平和は戦争より悪い。
内閣の責任を追求する声は、議会内外で日に日に高くなる。
アミアン条約の最大眼目は、イギリス軍のマルタ島からの撤収であった。
マルタ島はシチリアの南100キロほどのところにあり、地図で見ると分かるのだが、地中海の交差点に位置している。
イギリス海軍はここに基地をもち、地中海を往来する船ににらみをきかせていた。
フランスにとっては目の上のこぶである。
だからこそ、ナポリ王国とローマ教皇領国から自国が撤退するかわりに、ボナパルトはイギリスにマルタ島からの撤収を求めたのだ。
イギリス政府はアミアン条約で認めたはずのこの条項を、いまとなっては履行したくない。
つまり、撤退を先延ばしにしたい。
(続く)