本文へスキップ

物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

     第3章 コンコルダ  

  12.コンサルヴィ枢機卿

 
サン・ニケーズ街の事件が世間を騒がせている間、コンコルダの交渉はどうなっていたのか。
 予想通り、難航していた。
 フランス側のベルニエ神父とヴァチカン側のスピーナ大司教による話し合いは、いわば「実務者会議」。
 この実務者会議が、はやくも座礁しそうである。

 ジリジリしながらその様子を見守っていたボナパルトは、1801年の春に、ひとりの特使をローマに派遣することにした。
 フランソワ・カコー。イタリアとヴァチカンを良く知る外交官である。
 かれは教皇、枢機卿グループ、その要路にある人物と接触してから、教皇庁の実力者はコンサルヴィ枢機卿だ、と見抜いた。
 頭脳明晰で、腹がすわっていて、決断がはやい。
 カコーは、ピウス7世の了承をとってから、コンサルヴィを伴ってパリに戻ることにした。
 この大胆なやりかたが、結果的に、コンコルダの交渉を袋小路から救い出したのである。


                                                   続く

 コンサルヴィはまだ44歳なのに、教皇庁の国務長官でした。
 アメリカ合衆国には国務長官がいる。が、教皇庁にそのようなポストが存在するのか、といぶかる人がいるかもしれません。  
 ヴァチカンはひとつの国です。
 当時もいまも、ひとつの主権国家なのです。
 いまでは国土面積がずいぶんと縮小され、ローマの一部分にすぎません。
 昔はかなり大きかった。
 最盛期はルネサンス時代で、教皇領国はパルマからカンパニアにまでのび広がっていました。
 教皇は、政治的には、教皇領国の元首なのです。
 ヴァチカンが国家であるからには、国務省など多くの省があってもいいわけです。
 国務省の長が国務長官であり、他の国にたとえれば首相兼外相というところ。  
 1801年5月にパリに着いたコンサルヴィは、独立国家ヴァチカンのいわば首相でした。


続く