断章 帝政期
3.宮廷・儀礼・帝国貴族
皇帝には威厳が必要である。
威厳をつくりだすには、舞台装置がいる。
それは儀式であり、華麗な空間であり、厳粛な顔で列席する人間たちである。
いまやチュイルリー宮殿にはナポレオンとジョゼフィーヌの家族が居住し、そのメンバーは公式に「フランス皇族」と呼ばれることになった。
エリザ、ポーリーヌ、カロリーヌの要求の一部はかなえられたわけである。
公式の儀礼における席順の問題、つまり「上席権」はデクレ(政令)によって定められ、元帥の階級や顕官の称号もつくられた。
まず30名ほどの者が公爵に列せられる。
かなり以前にここに登場したザヴァリもそのひとりで、ロヴィゴ公爵を名乗った。
1808年には世襲貴族の再興についてのデクレが公布され、伯爵、男爵、シュヴァリエの称号が加わった。
これで帝国貴族(新貴族ともいう)が出そろったことになる。
宮廷はかれら帝国貴族とその夫人たち、侍従、女官、小姓などによって彩られる。
ナポレオンは、閲兵式を例外として、儀式をあまり好まなかったが、義務としてセレモニーにはかならず出たようである。
かれが心から欲していたのは、後継者となる実子である。
関係をもったある女性が出産したことで、自分でなくジョゼフィーヌに不妊の原因があるのを知ったかれは、再婚を決意した。
1809年12月にジョゼフィーヌと離婚。
翌年1月にオーストリアの皇女マリー・ルイ−ゼを新皇后として迎えた。
マリー・ルイ−ゼ(フランス名ではマリー・ルイーズ)は18歳。
1811年3月に待望の男の子が誕生。
「ローマ王」という称号があたえられる。
コルシカの貧乏貴族のせがれが、ハプスブルグ家の皇女とのあいだに世継ぎの子を設けたのだ。
栄華栄達ここにきわまる、というべきだろう。
(続く)