Part 2 百日天下
第1章 エルバ島
4.ジョゼフィーヌの死
この頃パリ郊外マルメゾンで、ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌが他界した。
訪ねてきたロシア皇帝アレクサンドル1世を案内して城館の庭を散歩しているときに風邪をひき、それをこじらせてぽっくり死んだのだ。
まだ50歳だった。
ジェノバの新聞に掲載された死亡記事を目にしたナポレオンは衝撃をうけ、何日も暗い顔をしていた。
かれが生涯でもっとも愛した女性は、おそらくジョゼフィーヌであろう。
26歳のときに出会い、熱烈に求愛してやっとのことでゴールインした。
かの女はそのとき32歳。2人の子どもを持つ未亡人だった。
しかし、貴族社会の女性らしい上品さがあり、クレオール(マリチニック島生まれ)特有のものうげな魅力があった。
ナポレオンは結婚にして二日後に、イタリア遠征軍司令官として出征し、戦地からひんぱんにラブレターを書いた。
返事はほとんどこない。
エジプト遠征中も、事情は同じ。
ジョゼフィーヌは夫が外国で戦っている間、パリで若い燕と遊びまわっていたのだ。
ナポレオンの家族の全員がかの女を嫌った。
この時期までのジョゼフィーヌは、悪妻と呼ばれてもしかたがない。
夫婦の力関係が逆転するのは、かの女の夫が第一統領になってからである。
権力者になった男はつぎからつぎと愛人をつくり、他方ジョゼフィーヌはぷっつりと浮気をやめてしまった。
そして嫉妬ぶかくなった。
かの女にはもともと社交性があり、他人の気持ちを洞察でき根が善良なので、多くの人から好かれた。 第一統領夫人としての、また皇后としての内助の功は、かなりのものがあった。
しかしナポレオンは、先に述べたように、後継者を望むあまりに、子どものできない年上のジョゼフィーヌと別れ、若いオーストリアの皇女マリー・ルイーズと結婚することを選ぶ。
結果論になるが、これ以後かれの運勢は衰退の一途をたどる。
チェスにたとえていえば、「悪手」をさしつづける。
良妻に変貌したジョゼフィーヌと離婚したのが「敗因」だったのか。
(続く)