本文へスキップ

物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

   
第1章 エルバ島

   5.息子を支えるレティツィア 

 8月のはじめに、ナポレオンの母親レティツィアがお供の者3名といっしょに島にやってきた。
 かの女は、港まで出迎えたベルトランとドルオに「息子はなぜここに来ていないのか?」と尋ねた。
 両将軍の答えは「皇帝はきのう一日中お待ちしていたのですが、今日は朝から山のほうに出かけられました」というもの。
 レティツィアは不満げであった。
 しかし、不機嫌はながく続かない。エルバ島が気に入ったのである。
 なにしろ、気候も風俗もコルシカと変わらないし、言葉が通じるのがうれしい。

 かの女が子どもたちを連れてコルシカを出て、トゥーロンに移住したのは四十を過ぎてからだった。
 新しい言語を習得するには年をとりすぎていて、いまもフランス語で会話するのが苦手である。
 レティツィアは馬車で島のいたるところにでかけ、自宅(ムリーニ邸の近くにあるヴァンティーニ邸)でサロンをひらき、息子の部下の軍人やその妻、そして島の住民を招いた。
 侍女のひとりをローマにやり、自分の宝石や金目のものを持ってこさせ、かの女の「ナポレオーネ」に手渡すと、遠慮なく使ってくれといった。
 母親の直観で、「ナポレオーネ」の財政状態がひっ迫しているのをすぐに見抜いたのだ。

 5月下旬に近衛兵600名が到着したあとも、少なからぬ士官、下士官、兵士たちが皇帝を慕ってぞくぞくと来島している。
 エルバ島の守備隊の数はいまでは千名をこえるが、じつがこれが悩みの種である。
 軍人たちを住まわせ、食事をあたえ、武器と制服を支給しなければならないのだ。
 そのほかにも、すでに述べた道路の拡張・整備工事、ムリーニ邸の増・改築工事などがある。
 そうしたもろもろの経費は、島の歳入が乏しいので、ポケットマネーでまかなうしかない。
 連合国と交わしたフォンテーヌブロー条約では、200万フランの年金がフランス政府から支払われることになっていた。
 しかるに、その200万フラン送られてくる気配はまったくない。
                                    (続く)