物語
ナポレオン
の時代
皇帝が異様な扮装で馬車から降り立ったとき、群衆は違和感を抱いた。
かれらが漠然と予期していたのは、二角帽をかぶり、簡素な軍服をまとった皇帝である。
つまりは、版画で知れわたっている「ちびの伍長」。
ところが、目の前に現れたのはルネサンスの宮廷人のように派手に着飾った男ではないか。
なるほど11年前の戴冠式のときも、ノートルダム大聖堂に赴く皇帝は豪奢で華麗な 身なりだった。
しかし、あの時と今ではフランスがおかれている状況が違う。
イギリスやプロイセンの軍隊が国境に迫っていて、もうすぐ戦争がはじまるのだ。
式典は、戴冠式のときのようにミサからはじまった。
祭壇に上がったのはトゥールの大司教バラル。
ついでカンバセレスが、帝国憲法付加法についての国民投票の結果を発表し、この憲法が信任されたことをおごそかに告げる。
そのあとは、選挙団代表による建白文の朗読。
ついで鷲の軍旗の授与式。
選ばれてシャン・ド・マルスに駆けつけた5万人の軍人を、ナポレオンは舞台の上から見下ろした。
暗い色をたたえた眼差しだった。
「陸海軍の兵士たちよ、国民軍の兵士たちよ、おまえたちの勇気を信じて帝国の鷲の軍旗を授ける。
祖国の敵にたいし、おまえたちの血をもってこの旗を守ると誓ってもらいたい。
フランスのために死ぬと、さあ、誓ってくれ!」
大地を揺るがすような叫び声がおこった。
「われわれは誓う!」
太鼓が鳴らされ、国歌が合唱される。
この式典は、宗教色と世俗色と軍事色がミックスされた、雑然たるものだった。
会場の雰囲気が盛り上がったのは軍旗授与式のときだけで、軍人たちは満足げであったが、一般市民の大部分は失望していた。
このイヴェントによって人気浮揚を狙ったはナポレオンのもくろみは、どうやら空振りに終わった。
(続く)