Part 1 第一統領ボナパルト
第7章 ナポレオン法典
4.硬軟両様の議会対策
このままでは民法典が流産しかねない。
政府は用意していた法案ぜんぶを取り下げ、議会を冬期休会にした。
立法化をはばむ壁は護民院にある。
ボナパルトは硬軟両様の政治手法をとることにした。
強硬なやりかたは明瞭に敵対的な議員をクビにすること。
護民院の定員は100名で、任期は6年。毎年その5分の1が改選される。
ボナパルトは憲法のこの規定を利用して、翌年(1802年)1月、反政府的な議員20名を「追放」する決心をした。
柔軟なやりかたはいわゆる根回し。
法案を議会にだすまえに、非公式なかたちで意見を求め、それをふまえて参事院で検討し、手直しをする。
この参事院での検討・修正作業は、議会で序章が否決される以前の分もふくめると、合計107回もおこなわれた。
そのうち52回が、ボナパルトの司会による。
残りの57回が、カンバセレスの司会である。
多忙きわまりない身でありながら、第一統領はこの民法案検討委員会を重視して、ほぼ2回に1回はみずから司会した。
司会の方法にもいろいろあり、開会をつげたあと沈黙を守り、じっと座ったままの人間もいる。
ボナパルトは文字通りの座長だった。
要点をはずれた発言をする者がいれば、適当に切ってしまう。反対意見をひきだすために、これと思う出席者を指名する。
あえて自分の考えを口に出し、法律専門家の意見を引き出し議論を活性化させる。
カンバセレスが司会するとき、さまざまな発言内容は手際よく要約・整理され、結論に導かれた。
その手際は巧みだった。
フランスの知識人は幼いときからその教育を受けているし、コツを心得ている。
しかし、参事院委員会の出席者の多くは、第一統領が司会したときのほうが、早く終わると感じたという。快い緊張感があったということであろう。
(続く)