Part 1 第一統領ボナパルト
第7章 ナポレオン法典
5.トロンシェとポルタリス
参事院における民法案の審議中に、司会をしながらボナパルトが口にした意見のいくつかを紹介してみる。
「離婚は認められるべきである。気質の不一致による離婚も許容されるべきである」
「フランス国内で外国人の父親から出生した子どもは、フランス人である。外国でフランス人の父親から出生した子どもも、フランス人である」
「民事死の結果として婚姻が解消されることには、反対である」 等々。
民事死という法律用語について、かんたんに説明する。
死刑などの重刑を宣告された者は、その日から法律的には死んだものとみなされ、(財産権や相続権などの)私権が停止される。
ボナパルトは死刑などが宣告されたからといって、その人間の婚姻関係がただちに解消されることに反対だ、と述べたのである。
離婚に関しては、かれがいずれ妻と別れるつもりだったのでそのような主張をしたのだろう、と憶測する歴史家がいる。
しかし、ボナパルトがジョゼフィーヌとの離婚を決意するのは1809年(ということは、7〜8年後)のことであり、そこまで先を読んでいたとは思えない。
いずれにせよ、第一統領が参事院の審議中にみせた法律的なカンの鋭さは出席者につよい印象をあたえた。
事前に起草委員のだれか(たとえばトロンシェ)の助言を得ていたとしても、それはそれでかれの民法典立法化への関心の高さを示している。
なおトロンシェは起草委員会の最年長者で法曹界の重鎮だった。
ルイ16世の裁判では被告になった王の弁護をした。
トロンシェと並んで、起草委員会で重きをなしたのはポルタリスで、かれの執筆した「民法典序章」は有名である。
ポルタリスは起草委員に任命されてまもなく参事院にも迎えられ、その両方を「つなぐ」ために重要な役割を演じた。
(続く)