Part 1 第一統領ボナパルト
第7章 ナポレオン法典
6.「妻は夫に従う」
すでに述べたように、参事院は合計107回の委員会をひらいて法案を検討した。
護民院の意見を斟酌して内容を補正したのも、この委員会である。
反政府的な議員20名が放逐されたあとで議会に送られた民法案は、こんどはスムースに審議が進み、立法院での採決もうまくいった。
ボナパルトの硬軟とりまぜた政治手法が功を奏したのである。
36本の個別法案がそれぞれ可決され、ついでそれらが一本化され「共和暦十二年風月三十日(西暦では1804年3月21日)の法律」という名称で可決・成立したのである。
起草委員会が発足してから3年半たっていた。
3年半しかたっていない、というべきかもしれない。
『フランス人の民法典』は、教科書風のいいかたをすれば、人間を封建的な束縛から解放された存在とみなし、その自由と平等を認めている点に特色がある。
たとえば、女性に財産相続権を認めているし、離婚を許容している。
18世紀流の合理主義精神といえよう。
ただし、この合理主義は法律家の保守的な現実主義によって大きく修正されている。
つまりは、中庸の精神に貫かれている。
二三の例をあげてその説明をする。
家族の支配者は両親とりわけ父親である、と規定されている。
子どもは成人するまで父親の権威の下におかれ、25歳をすぎても結婚するときには「敬意の行為として」父親の意見を聞かなければならない。
相続について、革命直後にできた法律では、私生児にも嫡出子と同じ権利を認めていた。
この民法典では、私生児のそうした権利は廃止された。
女性の法的な権利は概して男性のそれより小さく、たとえばつぎのような条文もある。。
「夫は妻を保護し、妻は夫に従う義務をおう」(第1篇 213条)
因みにボナパルトは参事院の委員会で「女性は結婚によって父親の後見を抜け出して、夫の後見に入るのだ」と述べたとされる。
妻の従属と無能力を前提とするかのような条文は、ほかにもいくつかある。
(続く)