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物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   
 第7章 ナポレオン法典 

  7.結婚と離婚 

 1804年の民法典で、婚姻に関する規定をすこし読んでみる。

 結婚するときには、1週間の間ふたつの公共の場に、その告示をすることが義務づけられている。
 「法が双方の親に認めている反対権の行使」を可能にするためである。
 平易な言い方をすれば、親や周囲の人間が知らぬうちに結婚するのはよくない。
 そうしたことが起きないようにしよう、という趣旨である。

 離婚についてはどうか。
 大革命直後にできた法律では、離婚を個人の自由に属する問題として、戸籍吏の面前で宣言するだけでよいとされていた。
 きわめてかんたんに離婚できたのである。
 1804年の民法典では、離婚すること自体は認められている。が、慎重な手続きが課せられている。
 「気質の不一致による離婚」は許容されていない。
 この問題では、参事院で第一統領とポルタリスのあいだで議論が交わされたに相違ない。結果的にボナパルトの意見が退けられた。  
 「協議による離婚」は容認されている。 
 しかし、離婚の意図が1年間保持され、子どもの教育および生存を確保するための措置が講じられなければならない、という条件がつけられた。
 夫は、妻の不貞の証拠があれば、離婚を要求できる。
 妻が離婚を要求できるのは、夫が他の女性と同棲した場合のみである。
 妻が不貞をはたらけば、投獄される。夫の場合は罰金刑ですむ。

 こうした規定は女性にたいして不公平ではないのか、という疑問が提出された。
 ポルタリスはこう答えている。「妻の不貞は、夫の不貞にくらべて、より大きな頽廃を予想させ、より危険な結果をもたらすからである」
 「結果」とは、いうまでもなく、子どもを意味している。

 以上、婚姻に関するいくつかの条項を概観したが、これだけでも1804年の民法典の一面である保守主義と現実主義はみてとれよう。

     (続く