7.パリの支配
財政改革にとりくみながら、ボナパルトは社会を落ち着かせようと努力していた。
すでに述べたように、当時のフランスは混乱の海を漂流する船である。
船を安全航行させなければならない。
社会秩序を回復しなければならない。
秩序とは、政府に権威があれば後からついてくるものである。
では、政府の権威とはなにか?
かんたんに言えば、政府がある方針を示して国民がそれに従うなら、政府に権威があるといえよう。
ところが、当時のフランスでは、地方はパリに従順でなかった。
たとえば、
地方行政のトップは選挙で選ばれ、事後に中央政府に任命されていた。
革命後の議会がめざしたのは(公安委員会の時期を除けば)、連邦主義だった。
現代風にいえば、地方分権だった。
ボナパルトはこれをやめて、みずから任命する知事を各県におくことにする。
知事は政府の代表者であり、県民を代表するのではない。
その仕事は国の地方事務を統括することである。
ボナパルトはそう考えていた。
権力をパリに集中させる。
すなわち、中央集権国家をめざしたのである。
(続く)