物語
ナポレオン
の時代
セント・ヘレナ島のナポレオンは、いうまでもなく囚人である。
刑務所に入れられたわけでないが、孤立した島という牢獄におしこめられ、厳しく監視されている。
行動の自由は制限され、ヨーロッパとの交信も原則的に禁じられている。
毎日同じ顔を見て、同じ風景を眺め、同じ日課を消化する。
それが果てしなく続くのだ。
全盛期にはマドリッドからモスクワまで、ナイル河のほとりからヴェネチアの運河まで、何万という部下を率いて遠征した人間である。
島の生活の単調さと許される行動半径の狭さに満足できるはずがない。
そして倦怠感。
ロウ総督を相手にことさら挑発的な態度をとったのも、倦怠をまぎらわす手段のひとつであったのだろう。
イギリス政府の代表と喧嘩することで、いくらか精神も緊張し、生活に張りのようなものを覚えたのかもしれない。
政治家ナポレオンは、生きて島を出られないのを察知したはずである。
しかし囚人ナポレオンは、生まれ故郷のコルシカに戻って死にたいと思う。
それが無理でも、せめてヨーロッパにもっと近い場所に移してもらえないかと期待する。
囚人とは希望を糧に生きる存在だからである。
1815年にかれがエルバ島を脱出したことで、ヨーロッパ全体を不安に陥れ、混乱させ、ワーテルローの戦いが起きた。
それ思えば、いま戦勝国がセント・ヘレナ島の囚人に対して寛大な措置をとることはありえない。
ナポレオンのなかのリアリストはそれを承知しているので、アーヘン会議の決定を聞いてもそれほど驚きはしなかった。
驚きはしなかったが、がっくりきた。
(続く)