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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第4章 倦怠と絶望   

   9.軍医オマーラ

 淡い期待が消滅したことは日がたつにつれて、ボディーブローのように効いてくる。

 ナポレオンは部屋に閉じこもりがちになり、口述筆記を命じることも間遠になる。
 家の外にはあまり出なくなった。
 訪問客に会うことも、島のイギリス人を招くことも、しだいに減少していく。
 運動不足から体調が損なわれていくが、病気になればいくらイギリス政府でも島から出してくれるかも知れない。
 ナポレオンはある時期からそう考えたようである。
 しばしば仮病を装い、主治医のオマーラを買収してもっともらしい診断書を書いてもらったりする。  

 オマーラはアイルランド人の医師で、イギリス海軍の軍医である。
 当初からロングウッドに住み込み、ナポレオンの健康状態についてロウ総督に定期的に報告していた。
 それとは別に、イギリス海軍省の知人にも長い手紙をときおり書き送っている。
 セント・ヘレナ島の情報をリークしていたわけである。
 さらにそのうえ、ナポレオンから相当の手当(月額にすれば1000フラン)をもらい、その意に沿う診断書を書いていたのだから、抜け目のない男だった。

 そのあたりのことに感づいたロウ総督は、1818年の夏にオマーラを島から追放した。
 島を出るまえにこの軍医が提出したナポレオンの「病状報告書」の一部を以下に紹介してみる。

 「頭痛、不安、上腹部の圧迫感。
 夜の初めに高い熱がでる。右肋下部をおさえると腫張がある。舌はほとんどつねに白い。
 以前は1分間に54〜60であった脈拍は、88にまで上昇している。
 居室の湿気のために、高温と炎症をともなうカタルに罹っている。
 これらは2年間の運動不足、危険な風土、孤独、意気消沈、精神的悩み等による結果である」  

 ある時期からナポレオンに籠絡されていたオマーラの診断は、そっくりそのまま受け取ることはできない。
  が、右肋下部(右脇腹)の腫張というのは記憶しておくべき兆候である。
 10ヶ月ほどまえ(1817年10月)にも、この医師は同じ所見を述べていた。

                                         次章に続く