Part 2 百日天下
第1章 エルバ島
8.皇后マリー・ルイーズ
ナポレオンはヴァレフスカ伯爵夫人に会うのに、用心に用心を重ねた。
しかも、二日後には帰るよう命じた。
もっぱら、皇后マリー・ルイーズへの気遣いからである。
もし皇后が伯爵夫人のことを知ったら腹を立て、島に来なくなると心配したのだ。
じつはこの用心は無意味だった。
マリー・ルイーズがローマ王をつれて来島する可能性は、はじめからほとんどゼロだったのだ。
ヴァレフスカ伯爵夫人が帝政瓦解のあとフォンテーヌブローに駆けつけたとき、皇后はそこから100キロほど離れたランブイエにいた。
マリー・ルイーズは、この時点では、夫のそばに行きたがっていた。
ところが、ナポレオンは妻の父親オーストリア皇帝の出方が気になったのか、皇后に対して曖昧な態度をとりつづける。
そしてマリー・ルイーズは自分から積極的に行動する女性ではなかった。
4月16日、父親フランツ2世がランブイエにやってきて、ナポレオンに合流することを娘に禁じた。
「まずウィーンに帰ってしばらく休息しなさい。そのあとはパルマに行くのだ。エルバ島を訪れるかどうかは、それから考えればよい」とも、つけ加えた。
なぜパルマに行くのか?
直前に締結されたフォンテーヌブロー条約で、マリー・ルイーズはイタリアのパルマ、ピアチェンツァ、グアスタラの三つを合わせた「パルマ公国」の公妃になることが内定していたからである。
かの女は昔から、そしてこれ以後も、父親にはきわめて従順な娘であり、フランツ2世のいうがままにローマ王をつれてウィーンに戻った。
懐かしいシェーンブルン宮殿の一角に住み、しばらくはひきこもっていたが、やがて宴会に姿をみせ、ダンスにも興ずるようになる。
背の高いかの女は踊ると目立つ。
碧眼で金髪。バラ色の肌。
「ルーベンスの描いたような女性」と、ある同時代人は評した。
もっとも、かの女はフランドルの巨匠が好んで描いた女たちのように豊満でなく、とくに美人というわけでもなかった。
(続く)