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物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   
 第5章 陰謀

  11.多量のインキ

 話を数日まえに戻せば、「アンギャン公逮捕さる」のニュースがパリに流れると、ボナパルトの身近な女性たち――母親レティツィア、妻ジョゼフィーヌ、妹カロリーヌ、義理の娘オルタンスなど――は、ショックをうけた。
 かの女たちはかわるがわるボナパルトのところに行き、公への寛大な処置を懇願している。
 政府の高官でも、これはすでに述べたが、カンバセレスやレニエは公を逮捕すること自体に反対していた。
 ジョゼフなどの兄弟たちも、当人たちが後年になって弁解していることを信じるなら、王族のひとりを死刑にするのは行き過ぎだと感じていた。

 にもかかわらず、処刑はおこなわれた。
 それも、1時間たらずの簡略な裁判のあとで、そそくさと実行された。
 強引なやり口である。
 ボナパルトに私怨でもあったのか?
 それはなかった。
 どんな人物かもよく知らなかったらしい。
 直接間接にこの事件にタッチした多くの人物が回想録を残している。
 たとえば、レアル。
  モローやピシュグリュを尋問したこの公安のプロは、事件についてどう書いているのか。
  第一統領からの「命令書」がレアル宅に届いたのは午後10時。その日は疲労困憊してすでに眠っていたという。
 下僕がナイトテーブルの上においた命令書を読んだのは翌朝であり、アンギャン公の処刑はすでに終わっていた。
 午後5時に届けられるはずだったが、手違いで遅くなったとも説明される。
 命令書の内容は、軍法会議の議長への任命、会議で尋問すべき事項の指示、最終的にはアンギャン公に特赦をあたえる、等々だったという。

 推定でいうのだが、レアルへの命令書というのは、ボナパルトとレアル本人を免責するためのフィクションであろう。
 他にも、真偽不明の多くの証言や噂が残っている。
 フランス語に「多量のインキを用いる」という表現があり、「物議をかもす」の意味である。
 アンギャン公の処刑に関しては、これいご長い間じつに多くのインキが用いられた。

                                             続く