Part 1 第一統領ボナパルト
第6章 裁判
1.タレーランのポーカーフェース
アンギャン公がヴァンセンヌで処刑された夜、タレーランはサン・ドミニク街のリュイーヌ公爵夫人のサロンにいた。
タレーランが出入りするサロンでは、しめくくりはいつもカード・ゲームと決まってる。
賭博は、この時代、上流社会でたいへんに流行していた。
タレーランは若いとき流行に乗っているだけだったが、やがて病みつきになる。
いまではりっぱな依存症だった。
よほど重要な公務でもないかぎり、毎晩のようにどこか行きつけのサロンでホイストかピケなどのカードゲームに興じる。
かれが投機に手をだし、外交交渉の相手国に賄賂を要求しているのはいわば公然の秘密だった。
大貴族にふさわしい豪奢な生活を維持するためと、ギャンブルの資金をかせぐためである。
夜の3時まえに帰宅するこおはめったにない。起きるのは、たいてい午前11時ごろ。
このような夜更かしの習慣で、タレーランの顔色は悪かったが、頑健な体質であったらしく、80過ぎまで長生きした。
サロンでつきあう相手はかぎられていて、その多くは社交界の女性。かの女らは楽しい勝負相手でもあり、貴重な情報源でもある。
リュイーヌ公爵夫人はそうした仲間のひとり。
この夜、2時半をすぎたころ、タレーランは視線をちらりと時計に走らせると、冷たい緑色の目でまわりを見た。
いかなるときにも感情をおもてに出さないことが、この外交官の強みである。
しかも、悠然として慇懃な態度をくずさない。
タレーランはカードをテーブルに伏せると、静かな口調でいった。
「コンデ家の末裔が亡くなられました」
周囲の者はハッとした。
よく分からなかったものの、ただならぬ気配を感じとったのだ。
かれらが言葉の意味を悟ったのは、翌日になってからである。(続く)