Part 2 百日天下
第3章 ウィーン会議
4.スパイ合戦
タレーランが「オーストリア・イギリス」チームに加わったことで、3対2で劣勢に立たされたロシアとプロイセンは怒った。
アレクサンドル1世は血相を変えて「ポーランドはロシアのものだ。ぜったいに譲らない」と、宣言する。
フリードリヒ・ウィルヘルム3世は「ザクセンを併合できないなら、戦争も辞さない」と、激しい口調でいう。
年が明けて、1815年1月3日。
メッテルニヒ、カスルレー、タレーランが集まって、ロシアとプロイセンに対抗するために3国間の秘密防衛協定を結んだ。
ロシアによるポーランドの領有、ならびにプロイセンによるザクセンの領有に反対し、最悪の場合には各国が15万の兵をだすという内容である。
15万といえば、オーストリアとイギリスにとっては全兵力の7割ぐらい、フランスにはほぼ10割。 あわせると、45万の大軍になる。
この3国は、本気だということを示したわけである。
秘密協定のはずなのに、その内容がなぜかロシアとプロイセンに筒抜けになる。
ツァーはびくついて腰がひけた。
「このさい多少の譲歩をするのはやむをえない」
そういって、フリードリヒ・ウィルヘルム3世の説得にかかった。
ところで、この秘密協定の内容がどうして漏れたのか?
わざリークしたということも考えられる。
もうひとつの可能性は、スパイ活動の成果である。
1814年の秋から1815年の春にかけて、ウィーンには多くの国の多くのスパイがうごめいていた。
諜報合戦花盛りである。
秘密警察はフーシェの専売特許というわけでない。
ハプスブルグ家も政治犯を監視するための国家警察をもっていたし、他の国にも、多かれ少なかれ、似たようなものがあった。
オーストリアの秘密警察のトップは、この時期、ハーゲル男爵。
諜報員は、零落した元上流階級の人間から選ばれることが多かった。
かれらは御者や召使に変装したり、鍵をこじあけたり、郵便物を蒸気で開封したりする。
貴婦人や小間使いを装った女スパイが、会話を盗み聞きしたり、色仕掛けで情報を仕入れたりもする。
ロシアやプロイセンの諜報員が、こうした手段で問題の秘密協定の内容を入手した、ということはじゅうぶんありえた。
(続く)