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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第6章 死因   

   8. 専門家の見解

 
 
ルネ・モーリの『ナポレオン暗殺』は、フォシュフーヴドの主張を大筋では承認したものである。
 承認しただけでなく、スウェーデンの歯科医の着眼のすばらしさを賞賛し、敬意を表してもいる。

 フランス人研究者はそれまでフォシュフーヴドの毒殺説に冷淡だった。
 たとえばナポレオン研究家であると同時に医師でもあるギー・ゴドルスキーは、毒物による死亡など論外だとして
フォシュフーヴドの意見をほとんど無視した。
 やはり医師の資格を持つ研究家のポール・ガニエールは、砒素中毒に特有の徴候が認められないとして同様に一蹴した。
 ちなみに、ゴドルスキーの考える死因は胃がん以外のなんらかの胃病。ガニエールは古い胃潰瘍の上にできた胃がんとしている。

 最後に斯界の権威
ジャン・チュラールがフォシュフーヴドの所説についてどう判断したかを紹介する。
 毛髪は、(引き抜かれたのでなく)切り取られた場合、DNA 鑑定ができないので、本物かどうか確定できない。
 19世紀初めには砒素が広く用いられていたから、毛髪を含めて人体にこの毒物がふんだんに入り込まれていたと考えられる。
 ナポレオンがセント・ヘレナ島に行くまえに切り取られた毛髪にも、砒素が含まれていた。
 かれの妹たちの髪の毛からも、相当量の砒素が検出されている。
 犯人についていえば、モントロンは臆面もない山師とはいえ、殺人犯と断定するにはもっと確かな決め手が必要だ。
 状況証拠には、なるほどと思わせるものもある(復讐、遺産目当てなど)。
 しかし、アルトワ伯が暗殺を命じたというのは信憑性に乏しい。
 他方、アントンマルキの解剖報告の内容は、すべての医師によってとはいえないにしても、多くの医師たちによって受け入れられてきた。
 よって、胃がんあるいは胃潰瘍を死因とするのが妥当である。
 モントロンが砒素を用いてナポレオンを毒殺したというのは、推理小説以外のなにものでもない。

 要するに、ナポレオン学の第一人者チュラールは、疑わしいだけでは有罪にならない、確実な証拠がないと裁定し、ポール・ガニエールの意見にお墨付きをあたえたのである。

                                             続く

 

    チュラールは元パリ大学教授・フランス学士院会員。
    ナポレオン関連の著書は20冊ほどもありますが、代表作は『ナポレオン事典』(執筆者代表・1987年刊)でしょうか。
    チュラールは映画にも造詣が深く、数冊の本を書いてます。
    ナポレオンだけに凝り固まった学者ではありません。