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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第4章 倦怠と絶望   

   3.女性問題

 フランス国民はナポレオンのセント・ヘレナ島での暮らしぶりを知りたがったが、「暮らしぶり」のなかには、異性関係もふくまれる。
 フランス人だけでなく、ヨーロッパ各国の民衆がこのことに興味を抱いたようである。
 1819年にイギリスに戻った軍医バクスターの言を信じるなら、植民地担当大臣バサースト卿からも、ナポレオンの女性関係についてあれこれ質問されたらしい。

 実際はどうだったのか?  
 この問題が語られるとき、よく持ち出されるのはベッツイ・バルコームの名前である。
 が、これは根も葉もない噂にすぎない。
 まえにも述べたが、2人が会ったときベッツイは14歳の少女にすぎなかった。

 かの女より年長でハイティーンのメアリー・アン・ロビンソンの場合は、かなり微妙である。
 メアリーはロングウッドの近くに住む小農の娘で、ナポレオンが馬で散歩しているときに出会ったようである。
 詳細は明らかでないが、1817年7月にかの女が結婚して島を出るときナポレオンはお祝いとして500ポンド(約1200万円)を与えた。
 父親には牝牛一頭を進呈している。
 500ポンドはかなりの持参金になるし、牝牛一頭といえばセント・ヘレナ島の小農にとって一財産である。
 顔見知り程度の相手にこれだけの贈りものはしない。
 なんらかのいきさつがあったものと考えられるが、この件についての情報はきわめて乏しい。

 もっと重要なのは、モントロン伯爵夫人アルビーヌとの関係だった。
 ラス・カーズが島を離れたあと、夫人はナポレオンの口述を筆記する役をみずから買ってでる。
 かの女がその仕事で毎日ナポレオンの部屋に行くようになると、グルゴー将軍が苛立ちはじめた。
 だれかが主君と親しくなると、自分がのけ者にされたと感じて我慢できないのだ。
 この時期の
グルゴーの日記を読むと、アルビーヌへの罵詈雑言がひんぱんに見られる。
 やがてこの軍人はかの女の挙動を監視するようになり、夫の黙認のもとに主君の愛人になったと確信するにいたる。
 (続く)