物語
ナポレオン
の時代
フランス国民はナポレオンのセント・ヘレナ島での暮らしぶりを知りたがったが、「暮らしぶり」のなかには、異性関係もふくまれる。
フランス人だけでなく、ヨーロッパ各国の民衆がこのことに興味を抱いたようである。
1819年にイギリスに戻った軍医バクスターの言を信じるなら、植民地担当大臣バサースト卿からも、ナポレオンの女性関係についてあれこれ質問されたらしい。
実際はどうだったのか?
この問題が語られるとき、よく持ち出されるのはベッツイ・バルコームの名前である。
が、これは根も葉もない噂にすぎない。
まえにも述べたが、2人が会ったときベッツイは14歳の少女にすぎなかった。
かの女より年長でハイティーンのメアリー・アン・ロビンソンの場合は、かなり微妙である。
メアリーはロングウッドの近くに住む小農の娘で、ナポレオンが馬で散歩しているときに出会ったようである。
詳細は明らかでないが、1817年7月にかの女が結婚して島を出るときナポレオンはお祝いとして500ポンド(約1200万円)を与えた。
父親には牝牛一頭を進呈している。
500ポンドはかなりの持参金になるし、牝牛一頭といえばセント・ヘレナ島の小農にとって一財産である。
顔見知り程度の相手にこれだけの贈りものはしない。
なんらかのいきさつがあったものと考えられるが、この件についての情報はきわめて乏しい。
もっと重要なのは、モントロン伯爵夫人アルビーヌとの関係だった。
ラス・カーズが島を離れたあと、夫人はナポレオンの口述を筆記する役をみずから買ってでる。
かの女がその仕事で毎日ナポレオンの部屋に行くようになると、グルゴー将軍が苛立ちはじめた。
だれかが主君と親しくなると、自分がのけ者にされたと感じて我慢できないのだ。
この時期のグルゴーの日記を読むと、アルビーヌへの罵詈雑言がひんぱんに見られる。
やがてこの軍人はかの女の挙動を監視するようになり、夫の黙認のもとに主君の愛人になったと確信するにいたる。
(続く)