物語
ナポレオン
の時代
朝食のあとナポレオンはこの地方の地図をしばらく睨んでいたが、やおら馬の用意を命じ、前線の視察に出た。
これが9時ごろ。
軟弱な地面に注意しながら馬を進める。
6月の太陽は陽ざしがつよく、地面がいくらか固まりつつあるようだ。
重要な戦闘のまえにはいつもそうするのだが、かれは前線にでると各部隊に声をかける。
が、いつもほどには「皇帝万歳!」の叫びが返ってこない。
じつは兵士たちの多くが腹を空かせていたのだ。
ブリュッセル街道が昨夜の雨で状態が悪く、移動中の軍団で混雑をきわめていたため、食料を運搬する輜重隊の到着がひどく遅れている。
その結果、パンが不足していた。
ブランディーはいつもの倍くばられたが、アルコールでからだは暖まっても、空腹をまぎらわせることはできない。
兵士たちは落ちこんでいた。
夜のあいだ雨の下を歩きまわり、冷たく濡れた大地に横たわったあと、朝になっても火を燃やすこともできない。
敵に場所を知られるから火をつけるなというのだ。
ナポレオンは兵士のそうした不満を知ってか知らずか、望遠鏡を前方にじっと向けている。
イギリス軍と多国籍軍の防御ラインは、どうやらウーグモン、ラエ・サント、パプロットの三農場を結ぶ線のようである。
これらの農場は補強され、要塞化され、敵兵が立てこもっているのだろう。
相手は明らかにディフェンス態勢をとっている。
兵力を比較すれば、はフランス軍のほうがいくらか多いが、ともに7万前後でほぼ互角。
ただし火力にかなりの開きがあり、仏軍の砲が約250門なのに、敵軍の砲は約150門である。
ナポレオンが「勝算9割」と幕僚にいい、ウェリントンがディフェンス態勢を選んでいる主たる理由はそこにある。
フランス軍の主力はラ・ベラリアンスの農場周辺に集まっていた。
このあたりの土地は傾斜しており、そこから上り坂がモン・サンジャンの高台までつづく。
モン・サンジャンが敵の最後の砦のようである。
(続く)