物語
ナポレオン
の時代
「砲声の方向に進むことは賛成できない、道の状態が悪いし、いつ到着できるか分かったものでない」
グルーシー元帥がそういうと、砲兵隊長バルテュスは首肯した。
しかし工兵隊長ヴァラゼが口をはさみ、道路の問題は工兵隊がなんとかしますと請け合う。
グルーシーはそれでも渋った。
「わたしには責任がある。ブリュッヘルがワーヴルで向きを変えてこっちに向かってきたらどうなる? 側面を襲われることになるだろう? それに、プロイセイン軍を追撃せよというのが皇帝の命令だ。その命令に背くことになる」
ジェラール将軍がムッとした表情になり、激しい口調で言い返した。
「砲声が聞こえる方向に進撃しなければなりません。これは戦場のイロハでしょう!」
グルーシー元帥の顔がこわばる。
ジェラールは将官とはいえ、自分より階級が下である。
他の士官がいるまえで、目下の者にあれこれいわれるのが気に入らない。
そんな言葉に従えば、総司令官としての威厳に傷がつく。
「わたしの義務は皇帝の命令を実行することだ」
かれは反論を許さぬ口調でそういうと、これで話は終わりだという態度をとった。
グルーシーは戦歴豊富な軍人であり、騎兵隊を指揮することにかけては、ミュラに匹敵するとまではいかないが、その代役ぐらいはつとまる実力をもっていた。
ただしこのこの軍人の長所は命じられたことを忠実に実行すること。
臨機応変の柔軟性は持ち合わせていない。
元帥に昇格したのもほんの2ヶ月前で、軍団規模の大部隊を指揮するのはこれが初めてである。
この大きな任務を無事に全うしたい。
それだけをこの軍人は願っていた。
砲声が西に聞こえるのに、北に向けて進撃を命じたのはそのためかもしれない。
(続く)