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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第6章 死因   

   2.毒殺説(1) フォシュフーヴド

 
 解剖報告書によれば、ナポレオンの死因は胃の「硬性がん」すなわち胃潰瘍あるいは胃がんである。
 しかし、この英雄に関心のある研究者とくに医学的知識をもつ研究者は、それをすんなり受け入れてきたわけでない。
 真の死因は胆のう結石である。
 いや痔疾が悪化したことが大きい。
 むしろ肺結核ではないのか、等々の異議申し立てが、その後もながく間欠的になされてきた。

 1961年になって、ということはナポレオンの死後140年目に、人びとをアッといわせる新説が登場する。
 砒素による謀殺説である。

 スウェーデンの港町イエーテボリーに住む歯科医ステン・フォシュフーヴドは、仕事のかたわら血清学と毒物学の研究に打ちこむ人物だった。
 この歯科医は以前からナポレオンに興味をもっていて、書斎には統領期や帝政期に関する多数の書物を取りそろえている。
 1955年にマルシャンの回想録が刊行されたとき、フォシュフーヴドはとうぜんそれを買い求めた(かれはフランス語を読める)。  

 この書物を読み進むうちに、歯科医は奇妙な印象にとらえられる。
 マルシャンが克明に記述しているナポレオンの病状が、ある症例を示しているような気がしたのだ。
 フォシュフーヴドはページをさかのぼって読み直し、病状が多くの点で慢性砒素中毒の症例に一致することに思い当たった。
 肝臓の肥大、足のむくみ、体毛の脱落、それに肥満などである。
 胃潰瘍や胃がんになった人間はふつう痩せるのに、最後の最後まで太っていたのはなぜなのか?
 ナポレオンの異常な肥満について証言している者は多い(たとえば島の住人ウィリアム・ダヴトン)。

 フォシュフーヴドは、自分の発見した「砒素による毒殺」を証明するにはどうすればよいかを真剣に考えはじめた。
続く