Part 1 第一統領ボナパルト
第2章 マレンゴの戦い
11.強運の男
首都を覆っていた重苦しい空気はけしとんだ。
庶民や労働者の多く住む下町ではお祭り騒ぎがはじまり、見知らぬ者どうしまで路上で抱き合って喜んだ。
やきもきし不安に胸をしめつけられたあとの反動で、人びとの安堵感と歓喜は強烈になった。
パリ市役所のとなりのサン・ジェルヴェ聖堂では、戦勝祝賀ミサが急遽とりおこなわれる。
とつぜんのことだったのに、多数の群集がおしかけて、聖堂内はごったがえした。
証券取引所では「戦況報告」が読み上げられ、国債の価格は 27.5 フランから 34.5 フランにはね上がった。
チュイルリー宮殿には、祝意をのべようとする政治家や各国外交官の馬車がひきもきらずやってくる。
第一統領ボナパルトの威信は大いに高まった。
政権基盤も目に見えて強固になる。議会の力は相対的に弱くなり、王党派による反政府運動も下火になった。
それにしても、ボナパルトは強運である。マレンゴの勝利を決めたのはドゥセであった。しかし、ドゥセは戦死し、名誉は総司令官ボナパルトただひとりに帰した。
思い起こせば、ブリュメール18日のクーデタにしても、失敗寸前のところで弟リュシヤンに助けられた。
4年まえには、北イタリアのアルコーレの戦いで、雨あられと飛んでくる敵弾のなかで、副官ミュイロンがボナパルトのまえに立ちはだかり、被弾して死んでいる。かれはミュイロンの恩を長く忘れず、セント・ヘレナで書いた遺書にその名をだして感謝している。
2年まえにエジプトに遠征するべくトゥーロン港から出航したときには、すぐ近くで待ちかまえていたイギリスのネルソン提督の艦隊に遭遇することもなかった。その夜に吹いた北西の強風のため、イギリス艦隊が損傷をうけ、混乱し、フランス艦隊を補足するどころでなかったからだ。
このようにいくども幸運に恵まれたあと、ボナパルトは自分のツキを自覚した。
「おれはなにかをやるために、この世に生を受けたのかもしれない」
権力へのかれの野心は、この自覚とともに芽生えたようである。 (次章に続く)