物語 ナポレオンの時代
Part 1 第一統領ボナパルト
1. ヴァチカンへのメッセージ
話は前後するが、マレンゴの戦いの3日後に勝利を祝うミサがミラノでとりおこなわれている。
場所は市の中心部にある大聖堂。
壮大かつ優雅なドゥオーモのなかに、神への感謝頌が高らかにひびきわたる。
ボナパルトはこのテデウムに出席した。
ミラノ市民はいぶかる。革命の国フランスの国家元首が「神の国」を訪れるのか?
かれは2週間ほどまえに、ということは戦場に赴く直前であるが、このミラノで多数の聖職者を大公邸に招いて演説した。
「宗教のない社会は、羅針盤のない船です。数々の不幸で学んだフランスは、目をひらきました。カトリック教こそが、動揺をおさえる錨です。そのことが分かったのです。」
イタリアの聖職者たちはじっと耳をかたむけている。とくに変わったことが語られているわけではない。
しかし、「革命の申し子」といわれるフランスの第一統領が、宗教の必要性を口にしたことに意味がある。
フランス革命はカトリック教会を攻撃した。その攻撃はなまやさしいものでなかった。その国の国家元首が、カトリック教を「社会の動揺をおさえてくれる錨」にたとええるとは!
ミラノの教会人は驚き、とまどい、そして満足した。噂はすぐにイタリア各地に広まる。 このイタリア人聖職者をまえにしてのスピーチと、マレンゴの戦いのあとの大聖堂でのテデウム出席は、じつは教皇庁に向けて出されたサインである。
そのあとで、遠征軍が帰国する途中、ミラノとトリノの中間にあるヴェルチェッリに立ち寄ったボナパルトは、そこの枢機卿マルチニアーナを訪れてこういった。
「わたしはフランスに宗教を再興したいと考えている。そのことを教皇にお伝えいただきたい。」
この正式のメッセージはただちにローマに通達される。
こうしてコンコルダの長く難しい交渉がはじまった。
それにしても、ボナパルトの手回しのよさには舌をまく。
決戦の場に赴く直前に、そして死闘のすぐ後で、時間をむだにすることなく段取りをつけているのだ。
まだ30歳でしかないというのに。
(続く)
コンコルとはなにか?それは次回に。