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物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   第3章 コンコルダ

  9. 警察大臣フーシェ 

 ボナパルトが警察大臣フーシェに「不穏な事件が続発している」とか「犯人はジャコバンに決まっている」とかいったのはなぜか?
 2ヵ月半ほどまえにも第一統領を狙った暗殺未遂事件があり、これにジャコバン派がからんでいた。
 ただし、凶器は爆弾でなく短剣。
 イタリア人彫刻家のチェラッキという男を首謀者とする数名の者が、オペラ座のなかでボナパルトを襲う計画だった。
 ところが犯行の直前に通報者がでて、警察が網をはって待ちかまえ、一味はあっけなく逮捕される。   犯人たちの多くが短剣を所持していたため、この事件はメディアから「短剣の陰謀」と呼ばれた。

 政府に敵対する勢力は、大別すればジャコバン派と王党派である。
 コンコルダの交渉がはじまっている現在、王党派の苛立ちはかなり減少しているだろう。テロを計画するほどの不満はないはずだ。
 「短剣の陰謀」事件と同じように、今回の下手人もジャコバン派であろう。
 ボナパルトはそう速断し、警察大臣の動きが遅いことを非難したのである。
 しかしフーシェの顔は、石膏のように無表情だった。
 困惑しているようでも、恥じ入っているようでもない。
 主君の詰問に応答する声もきわめて低く、すぐそばにいる人間にすらよく聞き取れぬほどだった。
 どうやら「犯人はジャコバンよりも王党派らしく思われます」と、答えているらしい。

 警察大臣には独自の監視網があった。多くの密偵を社会のいたるところに配置し、かれらから定期的に情報を集める。
 密偵たちにはタップリと謝礼をはらう。金は、国家機密費やかれ自身のポケットからでる。ポケットといっても自腹をきるのではない。あちこちの賭博場や売春宿を黙認するかわりに、多額の上前をはねて、それをプールしておいたものである。
 密偵のほかにも、フーシェのかかえる情報提供者には、中流・上流階級の人間も含まれている。政府の要人のなかにすら、匿名の密告者がいた。
 これと思う相手にはたくみにとりいって歓心をかい、いざというときのために裏情報を買い取り、ストックしておくのである。
続く

  フーシェは、この「ナポレオンの時代」の重要な脇役。
  この人物のイメージを得るには、シュテファン・ツワイク著『ジョゼフ・フーシェ』を読むにしくはない。
  まことに面白い本で、歴史評伝の傑作です。