物語
ナポレオン
の時代
1816年4月14日正午ごろ、数隻のイギリス船がジェームズタウンに入港する。
その中のフェイアトン号に、ハドソン・ロウという男が乗っていた。
新しくセント・ヘレナ島総督に任命された陸軍少将(着任と同時に中将待遇)である。
これまでの総督はコックバーン提督であったが、提督にとって島の総督の仕事は暫定的なものであった。
ナポレオンを運ぶノーサンバランド号の艦長として半年まえに島に来て、流刑囚の住む場所を決め、監視を続けてきた。
いまその任務を後任者に委ねることができてせいせいしていた。
海の男コックバーンは、看守役を好まなかったようである。
ところで、新総督ハドソン・ロウはどんな人物なのか?
1769年7月生まれの46歳。
偶然ながら、ナポレオンと同年齢である。
もっとも共通点はそれだけで、陸軍の軍人としての経歴は大きへだったっているし、なによりも性格の違いが大きい。
ロウの軍歴をみると、防諜関連のものが多い。
ワーテルローの戦場では、プロイセンのブリュッヘル将軍の下で英軍との連絡将校をつとめた。
この男の特技は外国語に堪能なことで、スペイン語、イタリア語、フランス語などができる。
ジブラルタルやコルシカ島、スペインのミノルカ島などに勤務したときに会得したのである。
性格的には、厳格で杓子定規。
軍規をあくまで細心かつ忠実に守る士官だった。
イギリス政府がハドソン・ロウをセント・ヘレナ島の総督に選んだのは、なによりもその几帳面さを買ったのであろう。
またコルシカ島にいたこともあるし、「コルシカ・レージャー部隊」の指揮官であったこともある。
そのような経歴もいくらかは考慮されたのかもしれない。
(続く)
ハドソン・ロウはナポレオンがやがて忌み嫌うことになる人物です。
とくに顔つきが気にくわなかったらしいのですが、ロウの容貌を教えてくれる肖像画があまり残ってません。
両角良彦『セント・ヘレナ抄』(講談社、1985年刊)には出てますし、同じ著者の『セント・ヘレナ落日』(朝日新聞社、1994年刊)に も図版が入っています。
不思議なことに、その2枚の肖像画は別人のように感じが違うのです。