物語
ナポレオン
の時代
ハドソン・ロウは高名な流刑囚を自分の目で確認したいと思い、島に着いた翌日ロングウッドに赴く。
いつでも会えると考えたらしく、ベルトラン将軍に話してアポをとることもせず、いきなり午前9時に訪問した。
ナポレオンはこれを失礼なふるまいと見なし、午前中に客に会う例もないことから、新総督との会見を拒否した。
ロウは面くらい、腹をたてたものの、退去せざるをえない。
両者が会ったのは、2日後(4月17日)の午後2時だった。
新総督が部屋に入り、自己紹介を終えても、ナポレオンは起立したまま黙っている。
長い沈黙が相手を当惑させるのを確かめてから、ようやく話の口火を切った。
会話はイタリア語で進行する。
ロウのもっとも得意な外国語であるし、ナポレオンにとってイタリア語は第2の母語である。
ナポレオンは話題をつぎつぎに変え、意表をつく質問をあびせた。
ロウが若いときに率いた「コルシカ・レーンジャー部隊(奇襲攻撃のための訓練を受けた部隊)」のこと。
エジプトでの戦闘のこと。
かと思えば「結婚はしているのかね?」と尋ねたりする。
どんな人物かを品定めしているのだ。
いわば面接試験の試験官のような態度。
ちなみにロウは、イギリスを離れる直前にあわただしく結婚していた。
相手はワーテルローで戦死したウィリアム・ジョンソン大佐の未亡人スーザン(35歳)。
前夫との間に生まれた十代の娘ふたりを連れての再婚である。
総督が帰ったあと、ナポレオンは随員たちに感想を述べた。
「あまりしゃべらぬ男だが、礼儀は心得ているようだ‥‥ が、即断はすまい。ひどい面相でも気のいい人間はいる」
どうやらロウの容貌に不快感を抱いたようである。
ロウは赤毛で、赤みおびたブロンド色の眉が両目にかぶさっていて、顔にはそばかすが多かったという。
背丈はふつうで、痩身のぎすぎすした体つきをしていた。
(続く)