物語
ナポレオン
の時代
ナポレオンはロングウッドの居宅のなかでは、あたかもチュイルリー宮殿にいるかのように、随員や召使いたちにきびしくプロトコル(儀礼)を守らせた。
ミニ宮廷に君臨するミニ皇帝である。
しかし、家の外にでると厳しい現実に直面した。
好き勝手にそこらを歩きまわることができないのだ。
じつは家屋内にもイギリス軍の当直士官が常駐していて、一日に二度、ナポレオンを「目で見る」ことを任務にしている。
監視の目、である。
自由に行動できる範囲は「4マイル境界線」の内側だけだった。
ただし日没時には、高台にある要塞の大砲の音を合図にロングウッドに戻らなければならず、翌朝まで外出はできない。
4マイル境界線内を第1段階の区域とすれば、第2段階は「12マイル境界線」内である。
ここでは相当数の赤い制服のイギリス兵にでくわす。
哨兵である。
かれらが気にならないのであれば(ナポレオンは大いに気にした)、事前に許可を求めずに、この区域の移動は可能である。
もっともベルトラン夫妻はロングウッドから離れたところに住むので、とくべつの許可証を所有していた。
もうひとりの例外はチプリアーニで、食料品などを買うためにジェームズタウンに行くことを許されている。
ベルトラン夫妻とチプリアーニ以外の者は、イギリス軍士官の立ち会いなしに島の住民と話をすることも原則として禁じられていた。
ロングウッドを見下ろすすべての山の頂には兵士がいて、異常な動きがあれば信号をかわすことになっている。
海上の警戒も怠りはなく、ブリッグ艦2隻が昼夜をとわず巡航していた。
島にくるイギリス船以外のすべての船舶は、停泊地まで誘導され、監視員が乗り込んで確認したあと、はじめて投錨許可がおりる。
以上のような厳しい警戒態勢をみれば分かるように、イギリス政府はなんとしてもナポレオンの脱走を許さない決意を固めていた。
つい先頃、エルバ島からまんまと逃げられ、ヨーロッパ中で物笑いの種になったのに懲りていたのだ。
(続く)
チプリアーニの表向きの役目は給仕長でしたが、裏ではべつの仕事をしていました。
ジェームズタウンのあちこちでかき集めた情報を、ナポレオンにこっそり報告していたのです。
と同時に、ロングウッドでなにが起きているかを(イギリス側から聞かれると)教えていたようです。
この抜け目なく、目先が利き、人当たりのよい男は、コルシカ出身であり、ナポレオンに深く信頼されていました。
エルバ島滞在の時期には、スパイとしてウィーンにまで送りこまれています。