Part 2 百日天下
第7章 ナポリ王ミュラ
4.名誉と富
ナポレオンが皇帝になったのは1804年であるが、このとき14名の現役軍人を元帥に任命した。
ミュラはその14名のひとりであり、直前にはパリ軍管区司令官になっていて、翌年にはレジオン・ドヌール一等勲章を受けている。
元帥の年俸は4万フラン、軍曹の100倍以上といわれる。
パリ軍管区司令官の年俸はもっと多く、6万フラン。
レジオン・ドヌール一等勲章の受勲者は2万フラン。
これ以外にも元老院議員などの肩書きもあり、濡れ手で粟をつかむように金銭は入ってきた。
おまけにナポレオンは、ミュラ夫妻の住居としてエリゼ宮を与え、国庫から90万フランを支出させている。
40歳をまえにして、ジョアシャン・ミュラはありあまる名誉と富をわがものにしていた。
しかし妻のカロリーヌは、これぐらいで舞い上がるような女性でない。
結婚し子どもができてからのかの女は、兄の威光を笠に着てプライドが高くなり、すべてに貪欲になっていた。
「ジョゼフ兄さんはコンコルダのときフランス代表。リュシヤン兄さんは内務大臣やスペイン大使になった。義兄のウジェーヌだってイタリア副王。それなのにわたしの夫は‥‥」
カロリーヌはことあるごとに不平をいい続ける。
それが功を奏したのか、1806年、かの女の夫は「ミュラ公」とよばれる身分になった。
ベルク公国とクレーヴ公国があたえられたのである。
この両公国はオランダとヴェストファーレン王国に挟まれ、ライン川流域に南北にのびている。
国土面積はそれほど広くないが、フランス東北部の国境に接していて、地政学的に重要な位置を占めていた。
小国とはいえ君主になったミュラは、1806年3月に主邑のデュッセルドルフに赴き、住民から歓迎される。
単身赴任であった。
だれも名前を知らぬような田舎の国になど行きたくないといって、カロリーヌが同行を拒んだからである。
結婚して6年たつうちに、かの女は夫を意のままに操るようになっていたのだ。
(続く)