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物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

    
第3章 ウィーン会議

    8.8カ国の共同宣言 

   ウィーン会議の参加国が一致してナポレオンに立ち向かうには、もめ事があっていてはいけない。
 つまりは、領土問題をすみやかに解決しなければならない。
 ロシアとプロイセンはそのことをすぐに呑み込んだ。
 ロシアはポーランドの大部分を事実上併合し、ベッサラビアを獲得することで手を打つ。
 プロイセンはザクセンのほぼ3分の2を併合し、ライン左岸の土地を獲得することで了承。

 3月11日の夜、メッテルニヒ主催の舞踏会があった。
 その会場に、ナポレオンと部下の兵士たちがカンヌ近くに上陸し、破竹の勢いでパリに向かっているというニュースが伝わる。
 当時の伝達速度からいって、ジュアン湾に上陸した一行がディーニュからシストロンあたりを北上していたころの情報であろう。
 人びとは踊るのをやめる。
 オーケストラの奏でるワルツだけがむなしく会場に響いた。
 プロイセン王はウェリントン将軍に合図して、連れ立って姿を消す。
 ロシア皇帝も、オーストリア皇帝も、そそくさと会場をあとにする。

 ナポレオンがなんの抵抗も受けずにパリに進撃しているというこの知らせが、数日来のタレーランの努力を結果的に後押しすることになった。
 翌・3月12日には、ヨーロッパの主要8カ国が、ナポレオンを弾劾する「共同宣言」を出すことに同意したからである。
 その主要8カ国とは、英・墺・普・露・仏の5大国に、スペイン、ポルトガル、スウェーデンが加わった顔ぶれ。
 言い換えれば、前年5月30日に「パリ条約」を締結した当事国である。
 共同宣言は、前フランス皇帝を「ナポレオン・ボナパルト」と呼び捨てにし、「フランスを混乱におとしいれ、転覆させる企てをもって帰国した者」と非難している。
 さらに「エルバ島を出たことにより、市民的・社会的な諸関係の外にみずから身をおいた」とも決めつけている。
 それゆえにわれわれ8カ国は、「世界の敵であり公共の安寧のかく乱者である」ボナパルトに「社会的制裁」をあたえるものである、としめくくってる。
 要するに、全ヨーロッパとロシアがナポレオンを相手に協力して戦うと宣言してるのだ。
                                                     (続く)