物語
ナポレオン
の時代
ナポレオンの遺骸はパリ郊外のサン・ドニ聖堂に安置されてもよかった。
歴代のフランス王・王妃の墓所はそこにある。
しかし、ナポレオンを「王位簒奪者」と呼ぶ王政支持者は、それに激しく反発するだろうし、国民を二分する論争になるだろう。
七月王政政府は、熟慮のあとでサン・ドニ聖堂でなく、アンヴァリッドに遺骸を収めることに決めた。
軍の栄光を連想させる場所であり、遺言のなかで表明されているナポレオンの希望にも合致するからである。
「わたしの遺骸はセーヌ河のほとり、わたしが深く愛したフランス国民に囲まれる場所に葬ってほしい」
ナポレオンの遺骸がパリに帰還した12月15日は、政府がそうなることを願っていた厳寒の日であった。
空に粉雪が舞い、溝に氷が張り、ときに薄日が射す肌寒い日。
著名人としてこの日の式典に招待されたヴィクトル・ユゴーは、文学者らしい観察眼をはたらかせてこう書いている。
「見物人は身体を温めようと、しじゅう足をバタバタ踏みならしている。
それでも、自分たちの目のまえを霊柩車が通るときだけは、バタバタいう音がやんだ」
ナポレオンの棺はアンヴァリッドに到着すると、中庭でパリ大司教から聖水撒布をうけた。
そのあと葬送行進曲が奏でられるなか、ベルプール号の水夫たちによって聖堂のなかに運びこまれる。
そこには王族と議員たち、各国外交団が待ちかまえていて、ジョワンヴィル王子がそのまえに進み出た。
「陛下、皇帝ナポレオンの遺骸です」と、かれは国王に奏上する。
「フランス国民の名において、わたしは受納する」と、ルイ・フィリップが応答した。
そのあと、ベルトラン将軍が棺の上にナポレオンの剣を捧げ、グルゴー将軍が帽子をおく。
オペラ座の歌手たちがレクイエムを歌い、軍隊行進曲が演奏される。
こうして儀式は終了した。
(続く)