物語
ナポレオン
の時代
1815年10月14日。
国事犯ナポレオン・ボナパルトを移送するイギリスの軍艦ノーサンバランド号は、この日セント・ヘレナ島の沖合に達した。
プリマス港を出帆してから67日目である。
ノーサンバランド号を護衛して、ハバナ号など4隻のブリッグ艦、イカロス号など3隻のコルヴェット艦、それにセイロン号など2隻の兵員輸送船と1隻の食料補給船。
これら10隻の艦船が艦隊をくんでここまで航海してきた。
セント・ヘレナ島は南大西洋に浮かぶ島である。
アフリカの西海岸から2500キロ。
ケープタウンから3200キロ。
いちばん近いアセンション島からも1700キロ離れている。
ヨーロッパからはもちろんのこと、どこからも遠い島なのである。
この時代イギリスからセント・ヘレナ島に渡るには2つのコースがあった。
ひとつは南米大陸に沿って南下し、そのあと季節風に乗って東に向かう。
これが通常のコースである。
もうひとつはアフリカの海岸沿いに南下して、ギニア湾に入ってから西航するというもの。
航路はこっちが短いが、風向きが不安定なのが難点だった。
にもかかわらず、艦隊の総指揮官コックバーン提督はあえてアフリカ海岸沿いのコースを選ぶ。
ナポレオンの救出作戦が海上で企てられる可能姓はゼロでなく、それを警戒したのである。
ところがコンゴ沖で風が凪いでしまい、それが十数日も続く。
提督の用心深さが裏目にでて、士官も乗組員も飲料水と生鮮食品の不足に悩まされた。
そして今、ようやくセント・ヘレナ島の見えるところまで達したのである。
「陸だぞ!」という声を聞くと、ナポレオンは服装を改めて甲板に上がった。
望遠鏡をかざしてじっと島を見つめてから、苦々しげに呟く。
「滞在地としてはいただけない。これならエジプトに残ったほうがよかった。いまごろは全東洋の皇帝になっていたはずだ」
(続く)