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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第1章 上陸 

   2.コルシカの人食い鬼

 海から突き出たような高い絶壁が、セント・ヘレナ島をぐるりと囲む。
 絶壁の奥にはゴツゴツした岩山が連なり、そこかしこに大砲が海に向けて配置されている。
 唯一、島の北側に断層の切れ目のようなものがあり、そこにわずかばかりの緑と家並みが見えた。
 ジェームズタウンである。

 ノーサンバランド号は10月15日午前10時、この港町の前面に投錨した。
 まずコックバーン提督と、艦隊に乗り組んで島にきた第53連隊の兵士を指揮するビンガム大佐が、ボートで上陸する。
 この島の総督に挨拶に行くのである。
 当時セント・ヘレナ島は東インド会社の管理下にあった。
 インド航路における重要な寄港地だったからである。
 ナポレオンをこの島に拘禁することを決めるとすぐイギリス政府は東インド会社と交渉に入り、島の政府への移管を求めていた。
 これから会う島の総督ウィルクス大佐も、東インド会社のために働く人物である。

 コックバーン提督、ビンガム大佐、そしてウィルクス大佐は、この日話し合った結果、連携を密にしてボナパルト将軍の拘禁と監視をおこなうことになり、最高責任者はコックバーン提督に決まった。

 翌日。
 提督だけが陸に上がり、ボナパルト将軍とその一行が暮らすべき建物を物色する。
 フランス人全員が上陸したのは、つぎの日すなわち10月17日だった。
 混乱を避けるために、一同は日が暮れるのを待ってノーサンバランド号を離れた。
 というのも、ナポレオンが有名人だからである。
 有名人といっても、イギリスや英語圏の地域では悪い意味で有名なのであり、
 「冷酷な暴君」あるいは「コルシカの人食い鬼」などと呼ばれている。
 だからこそ、人びとの好奇心をつよく刺激する。
 この島にくるまえに立ち寄ったイギリスの港では、物見高い群衆が連日のようにつめかけた。
 金を払って小舟に乗り、ナポレオンの乗っている軍艦のそばまで近寄って見ようとした人間も多い。  
 
 ここジェームズタウンでも、いつのまにか噂を聞きつけた大勢の住民が港にきて、暗闇のなかで待ちかまえていた。
 ナポレオンとその随員・召使いが上陸すると、かれらは押し黙ったまま、世にも珍しい猛獣でも見るように凝視するのだった。
          (続く

 ナポレオンが行くまえのセント・ヘレナ島の人口は、およそ3600人でした。
  内訳けは白人(民間人)730人、軍人 890人。自由黒人 420人、
 黒人奴隷 1300人。東洋人 240人です。
 東洋人というのは、東インド会社の斡旋で出稼ぎにきているアジア系労働者のこ
 とで、島ではひとくくりにして「中国人」と呼ばれてました。