Part 2 百日天下
第6章 新たな統治システム
5.ジャックリーの王
ナポレオンがカンヌからパリまでをわずか20日間で進軍できたのは、農民・労働者・小市民それに軍隊の熱い支持があったからである。
農民・労働者・小市民などをひとくくりにして「大衆」と呼ぶなら、ナポレオンは大衆と下級兵士たちに後押しされて政権に復帰できた。
戻ってきた皇帝に大衆と兵士が期待したのはなにか?
王侯貴族と聖職者たちを追い払ってくれること。
フランスに攻め込んで国土を荒らした外国の軍隊をやっつけてくれること。
これを抽象的な言葉でいえば、革命精神の復活と外敵への報復。
言い換えれば、ブルジョワ階級と大衆・兵士では帰還した皇帝に求めるものが違っていた。
革命精神とリベラリズムは似て非なるものである。
場合によっては、むしろ対立する。
戻ってきたナポレオンが直面する困難はそこにある。
じつをいえば、かれは革命精神もリベラリズムも好きでない。
フランス革命が起きたとき、一時的にジャコバン派に関心を寄せたこともあるが、急速に興味を失う。 無秩序や混乱を嫌う性格なのである。
政治のリベラリズムとは、具体的には憲法、議会、言論の自由、私有財産の保全などを要求するものである。
ナポレオンにとって議会はわずらわしい組織だった。
だから議員の数も権限もできるだけ縮小しようとした。
言論の自由についても、スタール夫人の例をひくまでもなく、これを抑えこもうとした。
しかし1815年のフランスは、もはや帝政期のような専制政治を許さなくなっていたし、ナポレオンはそれを肌で感じとっている。
革命精神を切り捨てることなく、しかも自由主義とも折り合わなければならない。
大衆・兵士の支持とブルジョワジーの協力。その両方がほしいからである。
しかし、どちらかひとつを選べというのであれば、ブルジョワたちを味方につけたい。
「ジャックリーの王」になる気はないのだから。
なお ジャックリーとは農民一揆のことで、暴動を起こした農民たちの指導者になるのはまっぴらだ、とナポレオンは考えていた。
(続く)