Part 1 第一統領ボナパルト
第6章 裁判
11.判決
裁判は2週間ほどで終わった。現代では考えられない速さである。
6月10日、カドゥーダルならびにその一味20名に、死刑が宣告された。
モロー以下5名は禁固刑。
他の者は無罪である。
ボナパルトはジョゼフィーヌなどの懇願に応じるかたちで、死刑を宣告された者のうち、ポリニャックとリヴィエールの罪一等を減じ、さらに他の7名に恩赦をあたえた。
レアルは第一統領の指示でカドゥーダルに会いに行き、政府のために働く気はないかともちかける。この男の度胸と統率力を認めて、転向を勧めたのである。
にべもなく拒否された。
グレーヴ広場(現在のパリ市役所まえ広場)に、処刑用のギロチン台がつくられる。
判決が出てから18日後の6月28日、死刑が執行された。
執行人は、ルイ16世の首をはねた男の息子である。
カドゥーダルはみずから望んで最初にギロチン台にのぼり、平然とした態度で首をさしのべた。
それを凝視していた部下が、つぎつぎに台に上がった。
この11年後に王政復古がなったあと、ルイ18世はカドゥーダルに報いるために、手厚い慰霊祭をおこない、その遺族を貴族に列している。
モロー将軍にでた判決は、禁固2年であった。
報告をうけたボナパルトは、不満そうにつぶやく。
「ハンカチ泥棒なみではないか!」
ホーエンリンデンの英雄を断頭台に送るつもりは、はじめからなかった。
もしモローに死刑が宣告されたら、恩赦をあたえるつもりでいた。が、それはそれとして、しかるべき量刑を望んでいたようである。
モロー将軍は最終的に北米への亡命を条件に赦免される。
かれのグロボワの城館と広大な地所は処分され、その売却手続きをフーシェがなにかと援助した。
親切心からではない。モローに恩を売って将来にそなえたのであろう。将来への保険である。(続く)