Part 2 百日天下
第8章 内憂外患
2.水面下で手を結ぶ
メッテルニヒは駐仏オーストリア大使として、1806年から1809年までパリに3年間暮らし、フーシェを含めて多くの知己をつくった。
ちなみに、後のナポリ王妃カロリーヌと関係があったのこの時期である。
面識のあるフーシェとコンタクトをとるのは難しいことでない。
打てば響くように反応があった。
フーシェのほうでも列強の腹のうちを知りたがっていたのだ。
この陰謀家が今回入閣したのは、政権に復帰したナポレオンのために働くためでない。
閣内にいれば重要な情報に人より早く触れられると思ったからなのだ。
かれの読みでは、もうすぐ戦争がはじまるし、ナポレオンは一度や二度は勝てるかもしれないが、三度目は負けるだろう。
その後のフランスの支配者がだれか?
そのことに、いちばん関心があった。
ルイ18世が舞い戻るかもしれない。
オルレアン公ルイ・フはリップの線もある。
ナポレオンの息子の可能性もゼロではない。
だれが王座についても困らぬように、フーシェは王党派、自由主義者、ボナパルティストのだれにでも愛想のよい愛度をとっていた。
対仏同盟国の動向にはいつも目を光らせている。
フランスの命運を最終的に決めるのは、それらの国の実力者なのだ。
ナポレオンから今回入閣を求められたとき、かれが初め外務大臣を希望したのは、その地位を利用して列強の首脳と連絡をとり、自分を売り込みたかったからである。
というわけで、オーストリア宰相メッテルニヒとフランスの警察大臣フーシェの間で、水面下での交信がはじまった。
当時の通信手段は手紙であるが、文字で委曲をつくせぬときには、使者を送って意思疎通をはかる。
(続く)