物語
ナポレオン
の時代
この6月16日に、カトル・ブラから15キロほど東のリニーでも並行して戦闘がおこなわれていた。
リニー周辺の小村落に兵力を展開するプロイセン軍を攻撃せよ、とナポレオンが命じたのだ。
狙いはウェリントンがでてくるまえに、プロイセン軍を叩きのめしすこと。
攻撃はヴァンダム将軍の第3軍団とジェラール将軍の第4軍団によっておこなわれ、全体の指揮をグルーシー元帥がとった。
このベルギー戦役に参加したフランスの元帥は3人であるが、スルトが参謀長、ネーが向かって左方面のイギリス軍相手、グルーシーが向かって右方面のプロイセン軍相手、とナポレオンはそれぞれの役割を決めていたようである。
午後3時ごろにはじまった戦闘は、凄絶な白兵戦になる。
プロイセン軍の総司令官は、72歳のブリュッヘル元帥。
ナポレオンが45歳、ウェリントンが46歳であるのを思えば、きわだって高齢であるが、激しい気性の持ち主である。
あのブールモンがプロイセン軍に投降したとき、老将軍は歓迎するどころか冷たい態度をとった。
理由がどうであれ、裏切りをはたらく軍人が嫌いなのだ。
リニーでの戦闘がはじまってまもなく、自軍の旗色が悪いのを歯がみして見ていたブリュッヘルは、陣頭指揮をとろうとして戦場に出た。
が、乗っていた馬が撃たれてその下敷きになり、気絶する 。
近くにいた副官に助けられなければ、戦死したか捕虜になっていただろう。
プロイセン軍は退却しはじめる。
総司令官に代わって全軍の指揮をとった参謀長グナイゼナウは、夕闇がせまるのを利用してたくみに兵を引く。
主力を温存したかたちで戦場から逃れることに成功したのである。
止めをさすことはできなかったが、ナポレオンがリニーで勝利をおさめたことのはまちがいない。
プロイセンの死傷者が1万5千人なのに、フランス軍の死傷者は8千人。
このニュースはすぐにパリに伝わり、フランス国民を安堵させた。
(続く)