物語
ナポレオン
の時代
フランス軍はリニーでプロイセン軍を破ったとはいえ、その勝利は中途半端なものだった。
ナポレオンの見るところ、それはネー元帥の緩慢さのせいである。
カトル・ブラの英軍を攻略するのに時間をかけすぎたし、リニーに移動せよという命令を出したのに、すぐに駆けつけてもくれなかった。
もしネーの軍、あるいはその配下のドルエ・デルロン軍が、カトル・ブラからリニーに回ってプロイセン軍をその右側面から攻撃してくれれば、完全に包囲殲滅できたはずなのだ。
なぜこんなことになったのか?
「ネーともあろう者が‥‥?」
そのあとナポレオンはフルリュスの司令部に戻って、ベッドにどさりと倒れこみ、たちまち寝入ってしまう。
翌朝は7時ごろに起きて朝食をとった。
パリに向けての報告書を口述し、ついで周囲の地形の偵察を思い立つ。
馬車で出発したのだが、雨で道がぬかるんで進めず、やむをえず馬に乗り換えた。
民家が少ないので野営せざるをえなかった兵士たちが、皇帝の姿に気づくと口々に歓呼の声をあげる。
ナポレオンは長い時間をかけて前日の戦場の跡を視察した。
この時点で、ブリュッヘル軍が計画的で秩序ある退却をしたのではないかという疑いが、ナポレオンの頭をかすめたようである。
午前11時ごろ、かれはグルーシー元帥を呼んで追撃作戦を命じた。
前夜,戦闘のあとで軽騎兵部隊にいちおう追跡を命じてはいるのだが、もっと大規模な追撃をさせる気になったのだ。
グルーシー元帥の下に、ヴァンダムの第3軍団とジェラールの第4軍団など、ぜんぶで3万人以上の大部隊をつけた。
3万といえば、大兵力である。
ブリュッヘル軍とウェリントン軍が合流するのを、なんとしても阻止したいのである。
それなら、なぜ昨夜のうちにその命令を出さなかったのか?
プロイセン軍は粉砕された、とうぶん戦える状態にない、とそのときは思った。
正確にいえば、思うことにしたのだ。
疲労していたし、体調も思わしくなく、熟考したり決断したりするのがおっくうだった。
(続く)