Part 2 百日天下
第5章 ドミノ倒し
6.ルイ18世の演説
この間パリには、かんばしくない情報が続々と入ってくる。
グルノーブルの駐屯軍は総崩れになったそうだ。
リールの第16師団ではクーデタの陰謀があったらしい。
メスでも軍の内部に不穏な動きがあるようだ、等々。
王の側近は「陸軍大臣スルトが軍を掌握していないからだ」と、批判をはじめた。
「ひょっとしたら、以前の主君ナポレオンのために蔭で糸を引いているのでは?」と、中傷する者までいる。
はじめは弁解につとめていたスルトは、まったく信用されぬのに苛立ち、3月11日に辞表を出した。
国王はあっさりこれを受理し、後任にクラルク将軍を当てた。
ルイ18世はさらに、このあたりでアクションを起こすべきだろうと思ったらしく、両院で演説すると言い出した。
3月16日、両院が召集される。
その日、午後3時ごろチュイルリー宮殿を出たルイ18世は、弟のアルトワ伯、甥のベリー公、親戚筋のオレルアン公らに付き添われて、セーヌ河の対岸にある議場に馬車で向かった。
議場には貴族院と代議院の議員がすでに参集して,王族の到着を厳粛な面持ちで待っている。
王には文才があり、演説の草稿はいつも自分で書く。
この日も草稿の内容を頭に入れたうえで登壇した。
登壇といっても、ルイ18世は肥満しすぎていて、ふつうに歩くこともままならない。
介添えの者に両側から支えられ押し上げられて、やっと壇に登ったのだ。
王は落ち着いたよく通る声で演説をはじめる。
「ボナパルトはフランスをまたも鉄のくびきにつなぐために戻ってきた。
この危機的なときに、わたしと国民を結ぶ絆をさらに強いものにしたいと思い、わたしは議場に来た。
わたしはわが身についてはなにひとつ恐れないが、フランスのために恐れる。
ボナパルトはわたしが国民に与えた憲章をこわすために戻ってきたのだ。」
憲章というのは、昨年6月パリに帰還したルイ18世がが制定した新しい憲法のことで、わざわざ、憲章(ラ・シャルト)という古めかしい名称を用いている。
そこでは、国王の地位の不可侵性が宣言されてはいるが、国民の基本的人権や所有権、さらに(制限可能ではあるが)出版の自由なども認められていた。
かなりの程度まで、自由主義的であるといえよう。
その内容を尊重すると、ルイ18世は議員たちのまえに改めて宣言した。
そしてつぎの言葉でスピーチをしめくくる。
「わたしは、フランス国民を幸福にするべく努力してきた。
60歳になったいま、国民のために死ぬことにまさる生涯の終え方があるだろうか!」
議員たちは感激し、喝采して壇上の国王を称えた。
(続く)